色々な顔を持つまち「下北沢」。
会社員・女優・小説家からみる魅力と生活。
世田谷区の北東部に位置する下北沢。小田急線で新宿、京王井の頭線で渋谷に直結しており、アクセスの良い住宅地として人気のまちです。古着屋・ライブハウス・小劇場が集まるサブカルチャー発信地”下北”としても知られており、観光客と住人が混ざり合って醸し出す雑多な雰囲気も魅力です。
駅前の再開発された新旧の入り混じるまちを抜けると住宅街が広がり、そこに2021年9月、『シェアプレイス下北沢』がオープンしました。見晴らしの良い最上階のシェアラウンジ、集中して働く環境のワークラウンジと2つのラウンジが用意されており、仕事も暮らしも豊かにしてくれるシェアハウスです。
この記事では、下北沢に深く関わる3人のゲストに話を聞きました。人によってはとっつきにくいと感じる”下北”かもしれませんが、実は世代・業種を問わずに楽しめるまちのようです。
会社員 たなべ りえ × 下北沢
①隣の家に醤油を借りに行ける関係があるまち
②テレワークの拠点として活用できるまち
③自身のキャリアが広がるまち
1987年生まれ。千葉県出身。
法政大学を卒業後、日本生命に就職。25歳で日本生命を退職後、下北沢でたまたま飲んでいたBarで働かないかと声をかけられ、これをきっかけに下北沢中心の生活に。20代後半はBarのアルバイトを軸に事業会社を転々とする。紆余曲折しつつも下北沢の繋がりに支えられ、30歳手前でBarを辞め、現在は下北沢にオフィスを構えるrayout株式会社で最年長新入社員として活躍している。
ーー下北沢に関わったきっかけと、現在の関わり方を教えてください。
三軒茶屋で通っていたバーが、下北沢にもお店を持っていたんです。三茶と下北沢は繋がっている感覚があって、「下北沢のお店にも行ってみたら?」と言われて飲みに行ったのがきっかけです。それから自然と下北沢中心の生活になって、5年前から下北沢に住んでいます。会社も自宅から歩いていける範囲にあります。
ーーバーに通うまちが、住まいと職場のある腰を据えるまちに変わったのですね。
関わる前の下北沢は、マニアックな古着やアングラのライブなど個性の強いイメージがあって、アーティスティックな感じが苦手でした。実際にまちに入り込んでみたら、隣の家に醤油を借りに行くような昔ながらのコミュニケーションがあって、下町にいる感覚になったんです。私は酔っ払うとモノを落とすことが多いのですが、前の晩に落とした財布が翌朝ポストに届いていたことがあります。たぶん、下北沢は寂しがり屋にとって住みやすいまちなんです。外に出たらすぐ知り合いに会える環境が嬉しくてたまらない。
ーー裏を返せば、プライベートが無いまちとも捉えられます。
そうですね。なにかやらかしちゃうと、次の日には他の店の人たちまで知れ渡るくらい筒抜けです(笑)。私は、下北沢に仲が良い人も苦手な人もいるけれど、話したくなる人がいるから楽しめる。好きも嫌いも合わせて大人数の濃い人間関係って、大人になってからあまり経験しませんよね? それが下北沢にはあります。そういう人間関係を経験して、嫌な事は流して良いところを楽しめるようになったのは下北沢のおかげです。
ーー普段は下北沢でどんなふうに過ごしていますか?
最近はテレワークが多いので、『ブルーマンデー』というカフェによくいます。お店によっては、ずっと座っていると”追加で何か頼まなきゃいけない感じ”になりますが、そういうのが無くて自宅にいるように過ごせる温かい空間です。食事をするなら『天華』という中華料理店が好きです。私の同級生がやっているお店で美味しいです。
ーー今後、どんなふうに下北沢に関わっていきますか?
いま映像制作の仕事をしているのですが、仕事でも下北沢と関わっていきたいです。下北沢では、何かをやりたいと言ったら誰かを紹介してくれて新しいことが始まります。せっかく面白い”下北民”と繋がっているので、そこから自分のキャリアを広げたいと思っています。
私の周りには、子どもがいても気軽に飲みに行ったり、飲み屋さん主催の週末キャンプに家族で参加して子ども同士が仲良くなったりして、歳を重ねても下北沢を楽しんでいる住人が多いです。そういう人たちを見ていると、例えば今後結婚をしても、下北沢から離れることはないと思っています。
ーー田鍋さんにとって、下北沢とは何ですか?
友達です。
女優 石垣 エリィ × 下北沢
①買い物感覚でファッション・演劇・音楽が楽しめるまち
②今の活動の源泉はまちの人との出会いにある
③約束なしで友人に出会えるまち
劇団四季が発足した日本初の演劇科、関東国際高等学校演劇科21期生。18歳で吉本興業THEフォービーズにて女優デビュー。数々の作品で主演を務める。代表作は三越劇場ファミリーミュージカル『アルプスの少女ハイジ」ペーター役(日本全国ツアー)、英語学習アプリ原作ミュージカル『マグナとふしぎの少女』主演カイ役、ブロードウェイミュージカル『You're a Good Man, Charlie Brown』ルーシー役、某夢の国テーマパークレギュラーショー主演等。
女優業と並行して演劇プロデュース団体“エリィジャパン”を立ち上げる。
現在は演技講師をする傍ら、下北沢の演劇関係者で賑わうバー他人言の店長(仮)をしている。
ーー下北沢に関わったきっかけと、現在の関わり方を教えてください。
高校の時に古着にハマって、「古着と言えば下北沢!」と通うようになりました。18歳で初めてバイトをしたのも下北の古着屋さんで、それから15店舗くらい下北沢でバイトをしました。今は『他人言』というバーで働いています。ただ、下北沢に住んだことは無いです。好きすぎて住めない。下北沢から全く出ない”下北沼”にハマるから、1〜2駅ずらして住む人は多いです。
ーー15年近く下北沢に通い続けているのですね。そこまで長くエリィさんを惹きつける魅力は何ですか?
私が好きなもの……ファッションや演劇、音楽などが完結するまちだから。下北沢はいつもどこかで文化的活動が起きているので、買い物をする感覚で演劇やライブが見られます。そうやって通い始めると、小さなまちに個人商店が集まっていて、売上よりも義理や人情を大事にしている人もたくさんいて、すぐ知り合いになるんです。まちにいると知り合いに会って、そのまま「飲みに行こう」となる。下北沢に行けば誰かいるから、飲みたいと思ったら約束するよりも下北沢を歩きます。
下北沢にいると絶対に人との繋がりができるので、一人暮らしでも一人ではない感覚があります。私が見ている限り、下北沢は仲間外れを作らない雰囲気があって、「こっちに来なよ」と強引に引き入れて、いつの間にか知り合いになっている人も多い。”人を楽しむこと”が軸にあるなら、下北沢は入りやすいと思います。
駅周辺を抜けると住宅街が広がっていて、高齢の住人も多いです。私が働いているバー『他人言』には、点滴しながら来るおじいちゃんがいて、世代問わず気楽に過ごせるのも魅力です。
ーー普段は下北沢でどんなふうに過ごしていますか?
コロナがあったので、最近は「あの人は元気かな?」と散歩しながら会いに行っています。よく行くお店は、『蕎麦前酒場CAZILO』という隠れ家的な蕎麦屋さんです。蕎麦もお酒も美味しくて店主が気さくで話しやすい。よく出没しています。
下北沢は再開発できれいなまちになってきています。最初、まちの人たちは「きれいになったら下北沢じゃない」と反対していて私もそう思っていましたが、商業施設ができると「便利だな」と思う。最近は、再開発地域に新しくできたカフェ巡りをするのが楽しいです。
ーー下北沢にハマって活動してきたエリィさん、まちは人生にどんな影響を与えていますか?
25歳の時に千葉県に住んでいたことがあります。その時の仕事に「私じゃなくてもいいんじゃないか」と悩んでいて、たまたま行った下北沢のライブハウスのオーナーに「何かやりたいことがあるんでしょう? ウチでやりなよ」と言われました。「ハコ代はエリィが売れてからでいい」と言ってくれて、前職を辞めて劇団を立ち上げたんです。劇団初公演の場所が、そのライブハウス『下北沢ろくでもない夜』です。そこから私の第二の人生が始まりました。前職で悩んでいた時、本能的に”下北沢に帰りたい”と思ったところから人生が変わったんです。
ーーエリィさんにとって、下北沢とは何ですか?
ホームです。
小説家 桜井 鈴茂 × 下北沢
①多量のエネルギーが引き出されるまち
②下北沢はカウンターカルチャーの基地局
③自分の感性を信じて進めるまち
1968年北海道生まれ。大学卒業後、バイク便ライダー、レコード会社A&Rアシスタント、郵便配達員、スナックのボーイ、小料理屋店長、大学院生、水道検針員など様々な職を経たのちに、2002年『アレルヤ』で第13回朝日新人文学賞を受賞。その他の著書に『終わりまであとどれくらいだろう』『女たち』『冬の旅』『どうしてこんなところに』『へんてこなこの場所から』『できそこないの世界でおれたちは』『探偵になんて向いてない』。旅とDJと曇天と猫とノンアルコールビールを愛好する。目黒区鷹番の“Low Alcoholic Cafe MARUKU”の店主にして、ノンアル専門ECサイト“MARUKU”の主宰者でもある。
ーー下北沢に関わったきっかけと、現在の関わり方を教えてください。
大学3年、1990年からバンドを始めたんですけど、下北沢に住んでいたバンド仲間の部屋に通い始めたのが最初です。下北沢は小田急線・京王井の頭線が通っているし、レコード屋さんやライヴハウスも点在してるので、ふらりと遊びに来やすかった。自分が下北沢のライブハウスでプレーするようになったのは、1992年頃からです。現在は、下北沢に仕事部屋を借りているので、週に4〜5日は通っています。
下北沢には30年以上関わっていますが、実は住んだことはないんです。好きな人や物と一定の距離を置きたくなる変な習癖を持っていて(笑)。それと、僕は一つのカラーに染まりたくないんですよね。自分の中にノイズ……違和感のようなものを常に取り入れておきたい。ずっと下北沢に身を置いていると逆に感覚が鈍麻して、例えば、容赦ない資本主義の存在とかを忘れてしまう気がするんです。
ーー桜井さんにとって、下北沢はノイズの無いまちなのですね。
学校を卒業してすぐに社会人=勤め人、という日本のロールモデルがあるとして、下北沢にいるのはそのコースに馴染めない人や独立独歩でやっている人が多い。その意味では僕も”下北側”の人間で、自分と似た感覚を持っている人が多いから、下北沢にいると気持ちが強くなれるんです。
それに、下北沢にいる人たちとの会話には余計なストレスがかからない。例えば、どこかのお店で「今かかってる曲は何?」と尋ねたとして、前提の説明を省いて、即本題から会話できたりする。マイナーなバンドの説明から始めるのは中々骨が折れますが、下北沢はポップミュージックリテラシーの高い人が多いので、楽だし、好きな音楽が同じだったりすると、一気に距離が縮まるじゃないですか。その意味でも、“ホーム感”はありますね。
ーー下北沢に30年以上関わって、徐々に”ホーム感”を培ってきたのでしょうか。
自分の根本的な考え方は欧米の音楽や映画・小説に影響を受けていますし、大学時代にロンドン・パリ一人旅に出て、強烈な体験を経て、社会や世界を見る目が変わりました。その一人旅を経たのち、居心地良く過ごせるまちは下北沢くらいしかなかったんです。欧米のユースカルチャーやカウンターカルチャーの中で培ったフィーリングやグルーヴは、概して日本の社会では役に立ちませんが、下北沢的なコミュニティにいれば、それらをなんとか維持していられる。もし、下北沢というまちが存在しなくて、一人で過ごすしかなかったら、結局、日本社会のスタンダードに巻き込まれて、冴えない勤め人になっていたかもしれません。似たような感覚を持った人たちと下北沢で出会えたから強くなれたし、自分の感覚は間違っていないと思えた。最初のきっかけは音楽や小説だけど、そこで得た感覚や考え方を自分のコアな部分に根付かせてくれたのは下北沢というまちがあったからこそ。その一方で、下北沢に関わらない別の人生を歩んでいたら、もっと幸せだったかも? という複雑な思いもなくはないのですが(笑)。
ーー桜井さんにとって、下北沢とは何ですか?
その質問、難しいですね。下北沢というまちに出会えて良かったけど、忘れてしまいたい出来事もけっこうありますし(笑)。下北沢が存在しなかったら、今の僕も存在しないのは確かだけど、下北沢で過ごした日々をすべて肯定できるわけでもない。そうですね……現時点では、わが人生において最も長い時間を過ごしたまち、ということでしょうか。そして、最も多くのエネルギーとアルコールを消費したまちでもあります(笑)。
あとがき
下北沢がサブカルチャーの発信地というイメージは正しいようですが、まちの主役は下北沢に魅せられて集う人たちでした。三者三様の下北沢をお聞きして分かったのは、まちを楽しみ尽くそうという人には手を広げて待っていてくれる懐の深さがあるということ。例えば一人暮らしでも、まち全体が暮らしの楽しみをシェアしてくれるでしょう。
「おかえりがある、ひとり暮らし」をコンセプトに、10年以上シェアハウスを見続けてきたリビタが新たにつくった『シェアプレイス下北沢』は、そんな豊かな暮らしのパートナーになります。下北沢を訪れてみて、自分の中の何かを変えてくれそうなサインを見つけたら、“下北沼”にハマる時期かもしれません。
『シェアプレイス下北沢』では、住まいとしての軸足を置きながら、そこからまちへと広がっていく暮らしを後押しするコンテンツもご用意。
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シェアプレイス下北沢入居者へのインタビュー記事はこちら