地形の変遷編
〜地図からまち見るシリーズ〜
今暮らしているまち、あるいは暮らしたいまちの歴史を知っていますか? 「道幅が狭くて通りにくいな」と思っていたら暗渠(あんきょ)だったり、「区画が大きくてキレイだな」と思っていたら、実は戦後に開発されたエリアだったり。そういったまちの成り立ちを教えてくれるのが古地図です。〈地図からまち見るシリーズ〉の今回は、古地図からまちの個性を読み解く方法をご紹介します。
「古地図」でまちの変化がわかる!
今と昔を比べてみよう
住みたいまちを選ぶとき、意外にも役に立つのが古地図です。
古地図とは、その名のとおり古い地図のこと。年代の定義はないものの、まちの大きな変化がわかりやすくいのは江戸時代~戦前につくられた地図。最新の地図と古地図を比べるとその違いは顕著で「こんなところも埋め立て地だったんだ!」なんてことがわかり、ちょっと盛り上がってしまいます。
ちなみに古地図には「世界図」「日本図」「都市図」「江戸切絵図」「地方図」「郡図」「道中図」などたくさんの種類があるんです。
江戸文化をイメージしながらたのしく調べたいなら、大名屋敷などが記された「江戸切絵図」(なかでも尾張屋板は江戸切絵図の傑作)、正確さを求めるなら、測量技術が発達した明治以降に作成された「五千分一東京図測量原図」がおすすめです。
古地図でわかる「地形」の変化で、
まちのカラーが見えてくる
さて、古地図と今の地図を比べてみると「地形」が大きく変わっていることがわかります。たとえば江戸時代は、江戸城の近く(今の皇居あたり)~現在の日比谷公園まで入江となっていました。つまり、日本橋~新橋が出っ張った半島のような状況だったのです。江戸の人口増加に伴い江戸幕府が埋め立て工事をスタートたことで、日比谷や八重洲が誕生しました。
埋め立て後の日比谷の土地を与えられた毛利家が、湿気を嫌って六本木の高台(現在の東京ミッドタウン)に大名屋敷を引っ越したことは、ちょっと有名な話です。当時も埋め立て地は嫌厭されていたのですね。
また今はタワーマンションが人気の中央区の湾岸エリアも、もともとは海だった埋め立て地。こうしたエリアは地盤が弱いため「地震で液状化現象が生じやすい」とも言われています。しかし一方で「川の氾濫には強い」という調査も出ています。
〈中央区洪水ハザードマップ〉を見れば荒川が氾濫しても佃・月島・勝どき・晴海エリアには浸水被害が少なく、むしろ日本橋浜町や日本橋中洲エリアの方が危険なことがわかりますね。
安全なまち・住みやすいまちを探すときは、古地図とともにハザードマップなどを併用するのがおすすめです。
まち選びのポイントは?
古地図で見るとわかったこと
具体的に、まちのどんなところに注目したらよいのでしょうか。リノサポコンサルタントの飯田さんに古地図の見方やそれ以外のチェックポイントを聞いてみました。
〈まちの背景を知る 1〉川や池の埋め立て地
ーというわけで飯田さん、私たちは住みたいまちを探すとき、どういったところに注目したらよいのでしょう。
まずは、まちの背景を知ってみましょう。「このまちがどんな歴史をたどってきたか」で見えてくるものがあります。こちらの淀橋浄水場跡地の空撮写真を見てみてください。
ー新宿駅西側のエリアですね。1970年の写真では京王プラザホテルだけがぽつんと建っていて、なんだか寂しそうです…。
そうなんです。今でこそ新宿は日本屈指の繁華街ですが、つい最近まではまったくの未開発エリアだったんです。その約20年後には都庁が建てられ、一気に新宿の超高層ビル群となっていきます。
ーこちらのどこが気がかりなのでしょう? もともと海だったわけではないですし、とくに注意しなくてもよさそうです。
そう思うでしょう。でも1965年までは、玉川上水からこちらの淀橋浄水場へと一直線に水を引き込む水路があったんです。その後、水路は埋め立てられて、今は東京都道431号角筈和泉町線となっています。一般的には「水道道路」呼ばれています。
ーまったく気がつきませんでした! 水路だった痕跡が見えません。
そんなこともないですよ。気持ちがいいくらい真っ直ぐな道路ですし、山手通りを過ぎて渋谷区に入ったあたりから、道路が左右より一段高くなっていることがわかります。これは水路に土手があったことに起因しているんですね。道路の下にはところどころトンネルも残っているんです。
ーじゃあ水道道路が通る「初台」「幡ヶ谷」「笹塚」に住んでいる方は、「どうして大通りに出るまでに、こんなに坂を上らなきゃいけないんだろう…」なんて思っているかもしれませんね。
そうかもしれません。でも水道道路付近はちょっと注意。古い建物が多く、細い道が入り組んでいるので、災害時に倒壊や避難経路が確保できなくなるというケースも考えられます。もしこのあたりで物件を探すなら、周辺の安全面もしっかりと調べておくべきでしょう。
〈まちの背景を知る 2〉盛り土地域
ーまちの特色を知るためには、古地図だけじゃなく、そのほかのマップや写真なども使った方がよいことがわかりました。その他に気をつけたほうがいいことはありますか?
わかりやすいのが「盛り土」です。斜面に土を盛って地面を平らにし、宅地をつくる方法です。熱海では土石流が発生して盛り土問題が明らかになりましたが、それ以前にも仙台市の盛り土造成地での地滑りや、北海道の盛り土造成地での液状化被害など、地震による被害はあったんです。
ーやはり盛り土は地震や災害に弱いのですね。リノサポエリアの都内にも、盛り土造成地はあるのでしょうか?
ありますよ。港区に15箇所、新宿区に13箇所、渋谷区に13箇所、品川区に9箇所…まだまだありますが、一番多いのは板橋区で29箇所。東京全体だと八王子市、多摩市、町田市が多いです。
ーそんなに多いんですか。「いいな」と思った家が盛り土に建てられていたら、やめたほうがよさそうですね。
そうとも言いきれないんですよ。「盛り土だから絶対に危険!」というわけではなく、安全な場合もありますから。大事なのは、買う前に地盤対策がしっかり行われているかどうかをチェックすること。また自治体が公開している「液状化ハザードマップ」で液状化リスクも見てみるのもひとつの手です。
〈まちの背景を知る 3〉整理整頓されたまち
次は「古地図でここを見たらおもしろいよ」的なお話をさせていただきますね。
ーいいですね!そういうお話も聞きたいです。
〈今昔マップ〉というサイトがありますが、今と現在の地形を比較できるだけでなく、盛り土造成地や洪水浸水エリアも調べることができとても便利です。たとえば世田谷区の上用賀あたり、左の地図が1896~1909年で、右の地図が現在です。現在の地図を見ると、まちが碁盤目状に整備された歴史があることがわかりますね。
ー本当にそうですね。京都みたいに区画が整然としています。
ちょうど砧公園の環八通りを挟んで向かい側のあたりになるのですが、「用賀一条通り」や「用賀二条通り」といった通り名も京都のようですね。昭和初期に住宅街として整備され始めたことをきっかけに、こうした通りも生まれたようです。
ー世田谷で人気のあるキレイな住宅街も、実は畑を整備して生まれたまちだったんですね。
日本橋や銀座の江戸の中心エリアはすでにまちが完成していたので、古地図と今を比べてもそれほど変わりません。でも世田谷や田園調布のように都心から離れた場所は、ほとんどが畑や竹やぶでした。そんな大きなまちの変化から、当時の人々がどんな暮らしを望んでどんなまちづくりを行ったか。それを読み解いていくと、ますますそのまちに親しみが生まれるかもしれませんね。
まとめ:地形から個性を読み解く
ハザードマップで防災面を見ることも大切ですが、もう一歩踏み込んでみると、そのまちがもっと身近に感じるから不思議です。それに役立つのが、古地図。歴史や地形の変化、さらには当時の住民の想いに心を寄せながら、まちについて知ることができます。古地図は今回ご紹介したサイトなどから、どなたでも見ることができます。これから住み替えを考えている方は、まち選びの指針にしてみてください。
リノサポでは、まちのバックグラウンドを踏まえた上でお客様に合った物件探しを行っています。まちの背景を知ることで、これまで興味がなかったまちに魅力を感じることもあるでしょう。とっておきのストーリーを持つまちを見つけて、自分らしい新しい暮らしをスタートしてみませんか?
地図からまち見るシリーズ