建築家/美術家 佐野文彦さんインタビュー奈良には日本の歴史の始まりがあるMIROKU 奈良|まちとのつながり

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建築家/美術家 佐野文彦さんインタビュー
奈良には日本の歴史の始まりがある
MIROKU 奈良

目 次
  1. 1奈良の南部には、日本の歴史の始まりを体感できる場所がある
  2. 2切り身の調理ではなく、漁に出て素材を確かめる
  3. 3”数寄屋・見立て・もの派”自分らしさは滲み出てくるもの
  4. 4二月堂で体感する日本文化の始まり
  5. 52泊3日で奈良市内から南下していく旅を
  6. 6きなこ団子の後に、要塞化していた町を見学する

2021年9月16日、奈良に「KUMU 金沢」や「KAIKA 東京」をはじめ、ローカルの新しい魅力をシェアすることをコンセプトに展開するライフスタイルホテル THE SHARE HOTELSの9号店「MIROKU 奈良」がオープンします。近鉄奈良駅から徒歩10分、奈良公園南端の荒池に隣接する敷地からは興福寺の五重塔、遠くには春日山の景色を望みます。 「MIROKU 奈良」の設計者のひとり、佐野文彦さんは、奈良県産の素材を極限までそのまま空間に使うことで、ローカルの魅力を表現しました。奈良県で生まれ、京都での数寄屋大工修行を経て現在は東京を拠点に活動する佐野さんに、改めて奈良県の持つ魅力を見つめ直してもらいました。

MIROKU奈良

奈良の南部には、日本の歴史の始まりを体感できる場所がある

ーー佐野さんは、奈良・京都・東京と拠点を移動してきました。生まれ育った奈良から離れている今、奈良はどんなふうに見えていますか?

人の気質も含めて、おおらかな場所です。観光地化していないのも一つの理由でしょうが、空間を含めておおらかさを感じます。たとえば、奈良県には昔の大寺院がたくさん残っています。それらを見ていると、1300年前の平城京が誕生した前後に中国大陸から入ってきたものをスタディしたと分かります。中国から入ってきた文化と、日本が古来から持っていた文化が融合して、今の僕たちが感じる”日本的なもの”が出来上がってきた過程を感じられる。
794年に京都の平安京へ都が移り、1185年に鎌倉時代が始まりますが、その頃になると大量の大木を使って巨大な建築物を作ることができなくなっていました。その結果、今の京都で見られるような、緻密で空間構成を意識した洗練された建築物が作られはじめた。奈良の建築物は再建しているものもありますが、基本的には鎌倉時代以前のものが多く、そこにおおらかさを感じるのだと思います。

大人になってから奈良を観光する人は、奈良市内だけでなく中部の桜井、南部の吉野や天川・十津川など、地域そのものを見にいく人が多いと思います。一方で、京都は多くの人がイメージする”日本的なもの”のテーマパークだと思います。そこでは買い物ができて、美味しいものが食べられて、古いものがたくさん見られる……京都という良い意味でなんでもある”本物のディズニーランド”にみんなで行くのが京都観光ではないでしょうか。

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ーー一般的な奈良観光というと、東大寺の大仏を見て鹿にせんべいをあげて……と定型化しているように感じます。

奈良駅から徒歩圏内だとそうなりますが、車で30分も走れば奈良市が中心になる前の時代の中央政府が置かれていた場所に行けます。桜井市にはヤマト王権初期の古墳があったり、古事記と日本書紀に出てくる大神(おおみわ)神社など、神の時代からの名残が多く見られます。吉野に行けば、めちゃくちゃ大きい一枚岩がそびえている岩神(いわかみ)神社という場所があります。岩神神社の岩はすごくて、目の当たりにすると拝むしかない圧倒的な風景が見られます。昔から信じられてきた磐座信仰を身体で感じるというか……あの巨石の前に拝殿を建てて拝もうとした昔の人たちの気持ちが理解できます。

ーー神社仏閣を見に行く旅行ではなく、なぜそこに建築物があるのかを理解する旅。違った視点で奈良を知る旅になりそうです。

土地の培ってきた歴史を全て理解できるほど建築物やモノが残っているわけではないですが、物語や言い伝えだけではなく、その土地にどんなものがあって、何が奉られていて、どんなふうに土地の人たちの暮らしに寄り添ってきたか分かる建築物やモノが多く残っています。ロマンという言葉が良いかどうか分かりませんが、そういう建築物を見ると、昔と今が繋がるものの見方になります。

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たとえば、天理にある石上神宮(いそのかみじんぐう)は日本最古の神社の一つで、建物は大仏様のようなちょっと不思議なつくりをしています。石上神宮には祭具として使っていた七支刀(しちしとう)という鉄剣があって、今は国宝に認定されています。1874年に宮司になった歴史学者でもある菅政友が七支刀を調べたところ、剣身に文字が刻まれているのを発見しました。今も解読が進められているのですが、日本書紀に記載されている刀と関連があるのではないかと言われています。もともと石上神宮には、ヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使ったという十拳剣(とつかのつるぎ)も祀られています。こういう由来を知ると、神社の在り方のベーシックな形を感じられるし、本質的に場所として日本の歴史の始まりが体感できる気がするんです。

切り身の調理ではなく、漁に出て素材を確かめる

ーー佐野さんは、奈良でホテルの設計をするに当たってどんな思いで設計しましたか?

奈良でやるのだから、プリミティブな材料の見せ方や工法で、おおらかな空間にしたいと思いました。繊細で洗練された空間よりも、部材の割りが大きくて、素材そのものがゴロゴロと見えているような空間をどう作っていくのか考えました。使っているのはほとんどが奈良でとれた素材です。地下1階は版築(はんちく:土を強く突いて固めて堅固な土壁を作る工法)の壁がありますが、そこに埋まっているのも奈良の土です。土には色粉を入れず、自然にできる層の色の違いが見られるようになっています。
結果として、誰が見ても奈良県の木や土・岩を感じられる空間になったと思います。一般的に部屋で使う丸太は数センチですが、その10倍以上ある吉野杉の丸太がどんっと立って存在感を出している。地下1階ラウンジのカウンターになっている木材も、直径1メートルの原木をギリギリまで生かしたデザインになっています。

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ーー佐野さんは素材に対して、素材ありきでどう使うか考えるのか、まずは理想の空間を浮かべてそれに合う素材を探すのか、どちらですか?

後者に近いです。「MIROKU 奈良」も、どうやって空間を見せていくかを考えて、「こんな柱を立てよう」「吉野杉を大きなサイズで見せよう」とイメージして、実現できる材料を探しました。
料理人は市場に行って魚を買い付けますよね? でも、一般的に建築家は工務店に任せます。料理人で言うなら、スーパーで切り身になった魚を調理する。でも、切り身かしか知らないと赤く着色したのか、そもそもそれがマグロをかすらわからないんです。僕たちは、マグロを釣っている場所に行きます。様々な種類があっても、杉かヒノキかヒバなのか見分けるし、小さな欠片になっても素材が分かる。素材を分かった上で、空間に合う見せ方、使い方を考えられるのは、一般的な建築事務所と違う強みだと思っています。

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”数寄屋・見立て・もの派”自分らしさは滲み出てくるもの

ーー佐野さんは2016年に文化庁の文化交流使として世界16カ国・32都市を巡りました。文化交流使の体験を経て、思考の変化はありましたか?

海外はいろんな意味で常識が違っていて、話していて面白いなと思うことが多かったです。オランダ・アムステルダムにあるロイドホテルの内装プロジェクトをやったときに、当初は1ヶ月半現場で取り組もうと思っていたのですが、ビザの関係で19日しか滞在できなかったんです。オーナーに日数が足りないと話したら、「Don’t worry! あなたのようなアーティストがティールームを作っているのよ。ベッドと椅子を置いて、ティールームの工事現場を内装にすればいいの。続きは、また戻ってきてやったらいいんじゃない?」と言われました。すごいですよね。そういう人たちとプロジェクトをやっていると、当たり前と思っているもの自体が全く違うことに気がつきます。そんな経験をたくさんして、日本に帰ってきた時に「自分は何をしていくべきなのか?」「自分らしいって何だ?」と考えました。ずっと何だろう? 何だろう? と考えながら作っていると、3個作っても分からなかった”らしさ”が、30個作ったら「こんな感じなんだ」と分かってくるんです。その中でも「この部分は自分で良いと思わないから変えてみよう」というふうに”らしさ”に近づけていく。

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ーー”自分らしさ”を考えながら作った結果として滲み出てきたものは、正しい感じがします。

文化交流使の経験も含めて、僕の中には3つのフェーズがありました。最初は、独立してすぐにパリで折型(日本由来の贈り物の礼法。供物を神様に捧げるために用いられた)の施設『宮・MIWA』をやったときに「日本らしいとは何か?」を考えました。
文化交流使になったら、様々な国や地域にあるものをどう形にしていくのか、見える形にしていくのかを考えるようになり、「そもそも文化とは何か?」を考えるきっかけになりました。その後、日本に帰ってきて「自分らしいとは何か?」を考えるようになったんです。

ーー海外で感じ取ったことをフィードバックして、日本文化を伝える術にしていったのですね。

もともと僕はアーティストになりたかったのですが、アーティストが職業なのか、どうやってなれるのか分からなくて、何でも作ることができる可能性のある職業として建築家になりました。独立してからは、自分で仕事を狭める必要はないと思い、アートでの表現に関わり始めました。千利休が茶の湯の中で見出した、本来その場で使わないものを意味の置き換えをして使っていく見立てという手法があるのですが、現代美術でマルセル・デュシャンが始めた現代美術のスタイルに近いと言われています。

そんなことを考えていた時に、僕自身がやりたいのは現代美術の中でも、『もの派』と言われるスタイルに近いものだと気がつきました。木や石などのモノをそのままの状態で使って、もの・人・空間の関係を表現するスタイルです。たとえば、岩神神社の一枚岩の前に立つと「すごいな」と思います。岩は何も言ってないけれど、人は勝手にすごいと思っている。「岩と自分はどういう関係にあるのか」「何がある時に自分は反応するのか」「そこに起こる違和感とは何か」、そんなことを考えてインスタレーションを作っていると、数寄屋大工をしていた時に素材はそもそも材料でありモノなのだけれど、モノをモノとして見てそこに入っている形を想像した経験があるから、『もの派』に興味が派生したのだと気がつきました。
今は数寄屋・見立て・もの派の3つのスタンスがあって、クライアントやプロジェクトによって3方向のどこに振れていくか考えながら作っていくのが面白いです・

MIROKU奈良

ーー『MIROKU 奈良』は、数寄屋・見立て・もの派のどこに振れているのですか?

『もの派』のアプローチです。材料そのものがどう見えてくるか、かなり意識して作っています。その素材でしか表現できない顔を大切にしたくて、素材を仕上げすぎないように意識しています。地下1階のラウンジには一面の荒壁がありますが、荒壁は本来、中塗りをした後に化粧仕上げをするので完成した空間では見えません。僕たち建築家でも、全面荒壁なんてなかなか見ることはない。でも、時間が経って荒壁に割れが出て色が変化しても良いじゃないですか。みんなの知らない荒壁という”顔”が露出して、空間が成り立っているのは面白いと思います。

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素材そのものを取り入れた空間を作りたいと思ったきっかけは他にもあります。ベルギーのデザイナーで実業家のアクセル・ウェルバート(Axel Vervoordt)は日本が好きで、住んでいるお城の中に日本の家具を取り込んだ部屋を作っています。彼に会った時に、「日本の数寄屋は私には綺麗すぎる」と言われたんです。彼の見ている日本文化と、僕たち日本人がスタンダードだと思っているものは違っていて、差があるのは面白い。
自分らしい今までとは違う日本の建築の表現とは何かを考えています。

ーー佐野さんは、”らしさ”にこだわりつつ、経験したことを柔軟に取り入れている印象です。その姿勢が、仕事を楽しく味わい尽くすコツなのかなと思いました。

もちろん、いくら彼が作るものでも「うーん、ちょっとな……」と思うものはありますが、「これは面白いな」と思えて面白いと感じるならやってみてもいい。いろんな物事を見て、知っているのはすごく大事です。見たもの全ては自分の中に残っていなくていいけれど、「自分が知っていたこととは全く違った」ということだけでも覚えていれば、これから何かの糧になっていくと思います。

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佐野文彦さんの奈良のお気に入り

二月堂で体感する日本文化の始まり

東大寺二月堂のお水取りです。松明が先導して、お水取りの行列が進んでいくのを見るのはすごい経験になると思います。達陀(だったん)という法会は、火の神と水の神の面をつけた人が松明を引き歩いて掛け合いをしたり、ダイナミックな動きで同じモーションを繰り返したりする儀式です。752年から続いていると言われていて、日本の文化の始まりの舞台・儀式を感じられると思います。一度は見てほしいですね。

2泊3日で奈良市内から南下していく旅を

奈良は京都と違って観光地が密集していません。移動に時間がかかるので、1日目は興福寺・東大寺・春日大社という定番コースを回って、2日目に法隆寺・法華寺・法起寺、3日目は南下して天理の石上神宮や桜井市の大神神社、長谷寺や室生寺に行くのはどうでしょうか。南に行くほど山の中へ入って、町の様子もゆったりしてきます。古事記や日本書紀に出てくる神社が増えてくるので、歴史を遡るような感覚が味わえると思います。

きなこ団子の後に、要塞化していた町を見学する

近鉄の大和八木駅のすぐ近くに『だんご庄』という団子屋さんがあります。きなこの団子がすごく美味しくて好きです。だんご庄の近くに今井町という約500件の町家が残っている観光集落があります。お寺を中心に地区を囲むように濠跡が残っていて、外からの侵入者を拒絶して今井町自体で自治をしていた暮らしの様子が残っています。だんご庄で団子を食べた後に観光するのがおすすめです。

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