メタ・バラッツさんインタビュー
こだわらないスパイス屋に学ぶ 多様性の楽しみかた
1984年、鎌倉生まれ。南インド・ニルギリの高校GSIS(Good Shephered Int’l School)を卒業し、スイス・ジュネーブのCollege du Lemanにてケンブリッジ大学のA Levelを獲得。その後、スペインに留学して経営学と料理を学び、帰国。アナン株式会社にて新商品開発やネーミング・新規事業の改革等に携わりながら、北インド・グジャラート出身である父メタ・アナンの元で、アーユルヴェーダを基にした料理を実践している。旬の野菜をテーマにしたカフェ「移動チャイ屋」を立ち上げ、出張料理を精力的に展開中。また、2011年震災後より宮城県女川町に仲間たちと炊き出しに赴いたのをきっかけに現地の雇用、観光資源創出に向け「女川カレーProject」を仲間と共に始める。スパイスのオンラインストア『インターネットオブスパイス』を運営。
鎌倉・極楽寺にある築100年超の古民家を拠点に、世界中のスパイス販売やオリジナルブレンドスパイスをプロデュースするメタ・バラッツさん。2020年で創業62年を迎えたアナン株式会社の3代目として、ワークショップやレシピ紹介を通して、スパイスのある暮らしの楽しさを提案しています。奥の深いスパイスの世界ですが、バラッツさんが提案するレシピは、本当に簡単なものばかり。多くの家庭でスパイスを使ってもらうために、こだわりを持たずに目の前の人と向き合う。こんな大らかなバラッツさんの仕事の取り組みかたは、今こそ私たちに必要な姿勢かもしれません。
日本人とスパイスのカレーな関係
―日本人にとって、少し前までスパイスは馴染みのないものでした。この2~3年で、スパイスを使った料理を食べる機会が増えてきたように思います。
実は、クローブというスパイスは正倉院に宝物として保存されていました。クローブは丁子とも呼ばれていて、漢方や染料として使われていたほか、武士が甲冑(かっちゅう)の中でいぶして、士気高揚に使ったとも言われています。シナモンや胡椒も漢方として使うなど、日本も昔からスパイスは扱っていました。しかし、料理に使われることは少なかったんです。日本ではスパイスよりも先に醤油の文化が発達したので、料理にスパイスを使うという発想が広まりにくかったのかもしれません。世界を見渡すと中国やアフリカなど、日本以外のほとんどの国で料理にスパイスが使われてきました。
―最近は、日本でもスパイスカレーがブームになっています。
スパイスカレーは、この3年くらいで流行ってきましたね。僕の周りにも、スパイスからカレーを作りたいという人が増えています。僕は、このブームにはきちんとした説明がつくと思っています。日本のカレーの歴史を見ていくと、約160年前にカレーが日本に入ってきたとき、海軍がカレーを広めて一度ブームになったと思うんです。その後、元海軍の人が田舎に帰ってカレーを作り始めた。中には、カレー屋さんを開いた人もいたみたいです。
最初のころ、一般の人にとってカレーはレストランで食べるものだったけれど、昭和に入ってカレー粉やカレールーが出てきて、そこから日本独自のカレー文化が始まったと思います。家でカレーを作るのが一般的になって、もっと美味しくしたいという人が出てきた。ちょうどその頃、1970~80年代にタンドリーチキンやナンなどのインド料理が日本で紹介され始めて、こんな新しいカレーがあるんだという発見があった。それから20年、自分の店舗を持ってオリジナルカレーを出す人が増えて、日本のエッセンスを加えた日本独自のスパイスカレーが確立されてきたのが、今の状況だと思います。有名人がスパイスカレーを紹介して広まった側面もありますが、普通の人の暮らしに根づきながら、日本の食卓に広がっていったのがカレーです。これから、日本のカレーはどうなっていくのでしょうね。すごく楽しみです。

浅く広くでいい。いろんなスパイスを楽しんでほしい
―バラッツさんが運営している『インターネットオブスパイス』には、『世界で1番わかりやすい、スパイスを使ったカレーの作り方プロジェクト』として、レシピが紹介されています。確かに、まだ「スパイスは難しい」というイメージはあると思います。
そうですよね。僕もよく、スパイスの使い方が分からないと言われます。ただ、僕は浅くてもいいから広くスパイスを楽しんでほしいんです。日常にスパイスを取り入れてもらって、日々の料理に生かしてほしい。だから、『インターネットオブスパイス』では、簡単に作れるスパイスカレーのレシピを毎週更新しています。まずは、多くの人にスパイスの楽しさに出会ってほしいです。
―今日はインタビュー中に、キーマカレーを作っていただきました。スパイスを炒める香りが、たまらないです! この香りは魔法ですね。この香りをかげば、きっとみんなカレーを食べたくなります。
炒めているのは、カルダモン・クミンホール・ブラックペッパーホール・シナモンです。ホールスパイスは焦げるから料理に使うのが難しいと言われますが、あまり気にせず香りがたつまで炒めてください。良い香りがしてきたら玉ねぎを飴色になるまで炒めます。香りが落ち着いてきたらパウダースパイスとひき肉を加えて火が通るまで炒め、トマト・ヨーグルト・水を入れて煮込んでください。
今日はじゃがいもとカリフラワーがあるので、サブジも作りましょう。サブジはインド料理のひとつで、野菜の炒め煮・蒸し煮のことです。
キーマカレーのレシピはこちら
じゃがいもとカリフラワーのサブジのレシピはこちら


地域の食材とスパイスの組み合わせで、豊かな食卓に
―アナン株式会社は、今年で創業62年を迎えます。バラッツさんは生まれたときからスパイスに囲まれているわけですが、そんなバラッツさんが考えるスパイスの魅力はなんですか?
僕にとってスパイスは生活の糧ですから、スパイスは商売です(笑)。いろんな人がうちの商品に馴染みを持って、買ってくれたらうれしい。どうすれば多くの人にうちのスパイスを使ってもらえるのか、どうすればもっと使いやすくなるのか考えるのは、僕がスパイスを商売として扱うことの正当性をつけるためなのかもしれないです。
―バラッツさん、正直でいいです(笑)。まっとうに利益を追求するのは、商売として当たり前です。
うちは、スパイスを40年以上売ってきました。ただスパイスを100個売ったとしても、そんなに儲からない(笑)。10,000個売れれば別ですけど(笑)。僕はスパイスが何個売れたかよりも、どんなふうに使ってもらえたのか、家でどう幅広く使い切ってもらえたのか、ということに興味があるし、そういう使い方をしてもらえたほうがうれしい。
僕は、父親がインド人で母親が日本人、鎌倉で生まれてインド・スイス・スペインで勉強をして、今は日本にいます。僕のこういう環境の中で、日本の家庭でどうやってスパイスを簡単に使ってもらえるのか考えるんです。インドには日本ほどはっきりした四季がなくて、暑い地域、もっと暑い地域とざっくり分かれていて、1年中同じようなスパイス料理を食べています。でも、日本には四季があって、季節ごとに独特の料理がある。日本ならではの四季が取り入れられた料理にスパイスを使ったら、もっと旬の食材を楽しめるのではないか? 今日は春野菜を醤油と味噌で調理して、明日は春野菜をスパイスで調理できれば、家庭料理はもっと楽しめると思う。スパイスはインドだけでなく、世界中で使われているので、各国のスパイスの使い方を知れば、日本の食材はもっと楽しめます。僕はそれを、どちらかというとレストランよりも家庭で楽しんでほしいと思っているんです。

―ただスパイスを広めるということではなく、“土地柄を生かした家庭料理”に興味があるのですね。
そうですね。そのほうが好きです。20~30年前までは、たくさんのスパイスを作ってたくさんのお店に置いてもらっていました。それでカレーブームも浸透したと思います。それはそれで良いのですが、今はスパイスを家で使い切れる人を増やしたいと思っています。だから、コンビニでスパイスを売ってたくさんの人に手に取ってもらうよりも、必要とされている場所に必要な分を置いてもらうことを大事にしたい。今はいろんな方法でスパイスの使い方を紹介できます。ホームページでレシピを公開したり、ワークショップで直接紹介をしながら、スパイスを使える人を増やしていけると思っています。
―スパイスを広げる活動といえば、アナンオリジナルブレンドのスパイスも、一役買っていると思います。バラッツさんは、様々な地域やブランドとコラボレーションしてオリジナルブレンドを作っています。
ブレンドの仕事は、増えていますね。最近だと、鎌倉小町にできたお店のオリジナルブレンドスパイスを作りました。女性が1人で切り盛りするお店で、『inspire・cheerful・happiness』という感情をテーマに、スパイスをブレンドしています。
オリジナルブレンドを作るときに大切にしているのは、雰囲気です。美味しい、美味しくないは個人によって違うので、味は誰にも定義できないと思うんです。それよりも、どんな場所で、誰と、どんなふうに食べるのかという食卓の情景を浮かべたほうが、ブレンドを作りやすい。例えば、魚料理を南国っぽい雰囲気で食べたいとか、暑い日にスパイス料理を作ってビールと一緒に楽しみたいなど、スパイスでその情景を表現するようにしています。

―これからは、どんなスパイスを提案していくのですか?
minä perhonenの皆川明さんのオーダーで作った8種類のブレンドスパイスがあって、その一つが静岡の西伊豆にある塩かつおを使ったブレンドです。塩かつおは鰹を塩漬けにした保存食で、鰹節よりも旨味がある。皆川さんのスパイスは、この塩かつおをパウダーにしてスパイスと合わせて、醤油に合うブレンドにしました。今は、醤油も味噌もパウダーにできる技術があるので、日本の調味料とスパイスの組み合わせは面白いと思っています。塩かつおのように、日本各地には郷土料理と呼ばれるものがあります。そういう食材とスパイスを掛け合わせれば、それで町おこしができるかもしれません。
日本の出汁文化は、海外の一部では注目されています。スパイスは世界中で使われているので、日本の出汁を使ったスパイスを提案すれば、その国の料理に広がりを持たせられるかもしれない。スパイスをツールにして、いろんな家庭料理の幅を広げる活動をしたほうが楽しいし、僕がやる意義もあると思っています。今は、和のものとスパイスの組み合わせを、とても興味深くみていますね

教える人と習う人を分けないから、発見がある
―バラッツさんは、リビタが運営する街のシェアスペース『BUKATSUDO』で、毎月1回『つきいちスパイスカレー部!』というワークショップの講師を担当されています。これは、もうすぐ50回を迎える人気講座になりました。
このワークショップの参加者は、半分弱の方が毎回来てくれるような常連さんです。最初は1人で参加していた方たちが、一緒にスパイスカレーをつくって食事をしながら交流して、仲良くなっています。スパイスカレーを学ぶためと、他の参加者と交流するための両方向から楽しんでいる方が多いですね。
下準備から完成まで、じっくりとみんなで学びながらスパイスカレーをつくるワークショップは、BUKATSUDOだけかもしれません。みんなで最初からスパイスカレーをつくるのは楽しいし、僕も楽です(笑)。BUKATSUDOに来るみなさんは上手に作ってくれるので、実は、新しいレシピの確認もさせてもらっています(笑)。こういうレシピだと、こういうカレーができ上がるのかとワークショップを通じて確認している側面もありますね。
―人に教える場で、バラッツさんも学んでいるのですね。
僕がある程度の準備をしておいて、その先を作ってもらうようなワークショップだと、最終的にこういうカレーになるだろうという予測がつくんです。でも、ワークショップで数グループに分かれてカレーを作ると、同じレシピなのに各グループでカレーに個性が出ます。いろんなカレーができて僕自身にも発見があるし、楽しいですね。

―バラッツさんはいろんなワークショップを手掛けていて、『インターネットオブスパイス』でも毎週レシピを公開しています。ネタがなくなることはありませんか?
たまにレシピに迷うときはありますが、日本は食材が豊富にあるので、同じようなレシピでも食材でアレンジができるんです。BUKATSUDOのレシピは、参加者が普段行くようなスーパーで買える食材を使っています。例えば、今日はスーパーに青唐辛子があったから使うけれど、無かったら獅子唐で代用してくださいなど、食材の代案を出して参加者が家で作るときの参考になるようにしています。
『インターネットオブスパイス』は週に一品のレシピを公開することが決まっているので、1ヶ月に一度、10品の撮影をしています。1ヶ月に10品を考えるのはけっこう大変で、「今月は『シラス』と『ジャガイモ』にしよう」というふうに、キーワードを決めて考えています。たとえば、『シラス』をキーワードにしたときは、カツオの出汁と合わせるアイデアが浮かんで、カツオ出汁に合うスパイスを決めて、最後にライムジュースを入れるスープカレーのレシピができました(詳しいレシピはこちら)。
スパイスの組み合わせは自由で、何百種類とレシピがあります。ひとことでチキンカレーと言っても、“爽やかなチキンカレー”とか“深みを入れたチキンカレー”など、いろんなバリエーションができるんですね。スパイスの炒めかたや煮込みかたにはそれなりに理由があって、どういうカレーを目指すかで、入れるタイミングや調理方法が変わってきます。そこは知識が必要なので、レシピを通じて伝えています。

こだわらないから、楽しめる
―スパイスの世界は奥が深くて、マニアックに突き詰めても面白そうです。でも、バラッツさんのレシピは肩の力が抜けていて、親しみやすいものが多いです。
『インターネットオブスパイス』のメンバーは、僕と電気関係の職に就いている人、ロボットエンジニア、税理士というおじさん4人でやっているのですが、他の3人は普段はあまり料理をしない人たちです。「インドのこの地域のカレーはこうだから……」とか、そういう知識を元にカレーをつくらない。そういう人たちには面白い視点があって、スパイスカレーを簡単に作れるように、レシピをフローチャートで表現したりする(笑)。こんな表現方法は僕では思いつけないことで、実はより多くの人にスパイスの楽しさを伝える良い方法かもしれないです。
―長く同じ仕事をしていると、思考パターンが固まってきます。でもバラッツさんはそこで固まらず、他の人の意見を取り入れながら、自分も楽しめるほうにしなやかに舵を切っているように感じます。
僕は、こだわりがないかもしれないですね。本当はこだわったほうが良いのかもしれないので、困ったことかもしれないけれど(笑)。最近のカレーブームで僕が共感できないのは、「インドではこういう調理方法をしているから、みんなもこうしなければいけない」という風潮です。インド料理やスパイスは突き詰めていくほどマニアックな世界でもあるので、「インドのこの地域ではスパイスをこう使っていて、こういう名称で呼びます」といった情報や知識はたくさん入ってきます。でも、おそらくインドの人たちはそんなことは考えていない。「スパイスの使いかたは、なんとなくで良いんですよ」と日本で言っても、それはみんなが求めている答えではないんです。日本では、定義づけをしたほうが伝わりやすいんです。
―スパイスとは何かを定義づけることに共感しないけれど、日本でスパイスを広めるためには定義づけが必要。この現実に、バラッツさんの中で葛藤はありませんか?
それが、無いんです。だって、僕にはこだわりがないから(笑)。あれ……僕はいまカッコ悪いですか?(笑)定義づけることで、一つのスパイスを1人の人が幅広く使えるようになるならそれでいいし、そういう定義を増やして伝えて、たくさんの人が家でスパイスを使うようになれば、自由にスパイスを使ってみようという人が増えるかもしれない。僕は、本当に家庭で気軽にスパイスを使ってほしい。その思いで、スパイスを扱っています。

メタ・バラッツさんのお気に入り

地元民が集う、鎌倉地魚を食べられる店
鎌倉の小町通りから奥に入った場所にある魚介料理のレストラン。駅から徒歩圏内にあるが、周りは静かな環境で、ゆったりと食事を楽しめる。「地魚を美味しく食べさせてくれるお店で、その日に獲れた魚介を、食材に合った方法で調理してくれます。海に近い鎌倉の食を味わえるので、鎌倉に遊びにきた友だちをよく連れていくお店です」
ペスカバ
神奈川県鎌倉市雪ノ下1-2-1
TEL 0467-53-9900
営業時間 月曜日・水~金曜日・祝日前 ディナー 17:00~23:00(LO22:00)
土曜日・日曜日・祝日 ディナー 17:00~22:00 LO21:00
定休日 毎週火曜日・第3水曜日

火があるところに、人は集まる
「もうずっと長いあいだ、家族で使っている火鉢です。豆を煮込んだり、冬に暖をとるために火をおこします。火があると人が集まるんです」とバラッツさん。縁側に座って、火鉢にあたりながら四季折々の花が咲く大きな庭を眺めるのは最高の気分。「火があるところに人は集まる」という理由から、庭にはかまどもつくられている。

丁寧に研いで、長く使うのが鎌倉流
創業100年を超える菊一伊助商店は、刃物研ぎの専門店で、鎌倉の料理好きのあいだでよく知られたお店。バラッツさんは10年以上前から菊一の包丁を使っている。竜神は、ものづくりのまちとして知られる新潟県燕三条ブランドの包丁。燕市は古くから刃物の名産地として、名品を生み出している。
「この2本は玉ねぎが切りやすくて、ずっと使っています。基本的に包丁は家で研いでいますが、研ぎ忘れて使い込みすぎたときは、菊一さんに研ぎに出しています」
菊一伊助商店
鎌倉市由比ガ浜1-3-7
TEL 0467-23-0122
営業時間 9:00~17:00
定休日 水曜日
有限会社大真産業
新潟県燕市吉田西太田3283-1
TEL 0256-63-2895
http://daishinsg.com/