不思議な地名編 ~地図からまち見るシリーズ~|住まいのヒント

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住まいのヒント

不思議な地名編
~地図からまち見るシリーズ~

目 次
  1. 1まちの名前はどうやって生まれるの?
  2. 2昔は怖かった、目黒区「蛇崩」
  3. 3荒ぶる川によって生まれた、北区「浮間」
  4. 4かつての麻布区、港区「麻布」
  5. 5まとめ:地名からまちの暮らしが見えてくる

普段なにげなく使っている地名には、由来があることはご存知でしょうか。たとえば「銀座」はかつて銀貨が鋳造されていたことから、「四谷」は4つの谷があったことに由来します。これらはとてもわかりやすい例ですが、なかには読み方がむずかしく、背景も複雑な地名も。〈地図からまち見るシリーズ〉、今回は不思議な地名からまちのドラマティックな成り立ちを紐解いていきます。

まちの名前はどうやって生まれるの?

そもそも、地名はどのように生まれるのでしょうか。地名の由来には諸説ありますが

・地形から生まれる
・川や草木など自然から生まれる
・神社や橋など人工物から生まれる
・ゆかりのある人物名から生まれる
・文化から生まれる

といったケースが多いようです。人々によって「白金長者が住んでいるから白金」「人形細工がたくさん売ってるから人形町」「神社で神楽をやってるから神楽坂」などと何気なく呼ばれていた地名が、明治や大正、昭和になって政府に採用されるように。
役人が「今日からここは○○と呼びなさい」と言って決まるのではなく、地元の人々が呼んだ愛称が、そのまま正式な地名になった点がおもしろいですね。

なかには残念ながら、使われなくなった地名も。たとえばかつて徳川家の狩猟地で立ち入り禁止だった目白区の「御留山(おとめやま)」や、松の古木・常盤松があった渋谷区の「常盤松(ときわまつ)」。こうした旧地名は、昭和37年の住居表示に関する法律をきっかっけに地図から消えてしまいました。「長者丸(ちょうじゃまる)」「池田山(いけだやま)」「御殿山(ごてんやま)」なども同様です。しかし小学校やバス停の名前に残っていたり、新しいマンション名に使われるなど、今でも人々に親しまれていることがわかります。

昔は怖かった、目黒区「蛇崩」

ここからは、リノサポコンサルタントの飯田さんに不思議な地名のお話を聞いてみましょう。

ー前回の「地形」には歴史を感じましたが、今回の「地名」には昔の人々の暮らしやカルチャーを知るといったおもしろさがあります。飯田さんが「これはすごい」と思う地名はどこですか?

目黒区に、「蛇崩(じゃくずれ)」という地名があります。

ーいきなりおどろおどろしいですね。

蛇崩
出典:目黒区役所

旧地名なので地図には出てきませんが、目黒区上目黒4丁目の野沢通りに交差点名として残っています。タクシーの運転手さんで知らない人はいないくらいで、「蛇崩交差点を通って行きましょう」なんて具合いに使っていますよ。

蛇崩の由来は諸説ありますが、いずれにしても世田谷区弦巻あたりから中目黒駅付近の目黒川に合流する「蛇崩川」が由来です。相当な暴れ川だったようです。

ー川の名前が地名になっていたんですね。

「洪水で崩れた崖から大蛇が出た」「大雨で川の流れが激しくなり、蛇が暴れているように見えた」といった日本昔ばなし的な話から、「川の両岸の砂がよく崩れたので砂崩(さくずれ)と呼ばれ、転じて蛇崩になった」という現実的なエピソードまでそろっています。古地図で見ると「蛇崩川」自体もうねうねして蛇のようです。それだけ昔から注目されていた場所だということでしょう。

ーそんな話を聞くとだんだん気になってきました。ちょっと歩いてみたくなりますね。

今はイメージがまったく違いますよ。暗渠(あんきょ)化され、道路や緑道になっていてマンションやお店が立ち並んでいます。「蛇崩川遊歩道の近く」「蛇崩交差点近く」が売りになるくらい人気のエリアです。

ー今そんなに人気があるのは、災害の心配がなくなったからこそですよね。

そうなんです。実は都内だけじゃなく、地方にも「蛇」の付く旧地名があります。
名古屋の天白区の「蛇崩(じゃほう)」、長野県の南木曽町の「蛇抜(じゃぬけ)」と呼ばれるエリアは、土砂崩れ地帯として昔から恐れられてきました。また以前、大きな土砂被害が出た広島市安佐南区八木地区も、旧地名は「八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)」だったんです。昔から土砂災害が多い地域と「蛇」という字には、深い関係があるんです。

ー「蛇」にはそんな意味があったんですね。

荒ぶる川によって生まれた、北区「浮間」

つづいては、「地名」と「地形」どちらにも関連がある「浮間(うきま)」です。

ー初めて聞きました。どういうエリアでしょう。

北区の北赤羽駅と浮間船渡駅の間に現存している地名です。荒川の歴史が大きく関わっているエリアでもあるんです。というのは江戸時代、荒川と利根川の瀬替え工事のため、荒川が入間川の流域に流れ込むように改修されました。(下図の茶色が改修前の流路)それにより荒川は、現在の浮間公園から新河岸川へと蛇行するような流路に変わったんです。川に囲まれた地形は島が浮いているような趣だったので「浮島」とよばれ、それが転じて「浮間」になってと言われています。

ー荒川の流路変更の影響を受けて、名前が付けられているんですね。

そうなんです。さらにその後も水路変更がされています。荒川は「荒ぶる川」のとおり洪水が多く、明治43年の大雨では両岸にある埼玉と東京に大きな被害を与えています。そこで明治44年から昭和5年にかけて、流路変更の大工事が行われました。それまで南側に大きく蛇行していた荒川中流部を直線にし、堤防がつくられたんです。これによって洪水被害が減り、浮間エリアは一気に市街地となります。

ー大変な洪水地帯だったけれど、それを解消したら人々が集まってきたんですね。

ちなみに荒川の水路を直線にしたことで、荒川の北側、つまり埼玉県にあった浮間は、荒川南側の東京都に位置するようになりました。埼玉県から東京都へと変わったんですね。浮間公園には浮間ヶ池があるのですが、かつて蛇行していた荒川の一部を残したものです。公園の北側にはちょっと登るのに思いきりがいる高さの堤防があります。これがあるおかげで、浮間の人々は安心して暮らせているんです。

かつての麻布区、港区「麻布」

ー飯田さん、私の気になっている地名についても教えていただけますか?

もちろんです。

ー港区には「麻布」が付く地名が多いのはなぜでしょう? 麻布十番、南麻布、西麻布、元麻布、東麻布、麻布台、麻布狸穴町、麻布永坂町…

麻布はもともと「麻を植えて布を織っていた」から、麻布と呼ばれるようになったと言われています。麻布十番をはじめとした麻布エリアは全て、明治11年から昭和22年まで存在した「麻布区」に入るんです。昭和22年に麻布区と赤坂区が合併して港区となりましたが、旧区域は「麻布」の冠称が引き継がれました。だから「麻布○○」といったまちがたくさん存在するんです。

ー「麻布」の前後に、方角やまちの特徴がくっついて現在の地名になったんですね。…やっぱり麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)には狸がひょっこり出ていたのでしょうか?

はい、正解です。狸穴町の由来は諸説ありますが、この地域に猯(まみ=タヌキまたはニホンアナグマのこと)が生息しており、急な坂の下にはタヌキの棲む洞窟があったようです。その坂は「狸穴坂」と呼ばれています。また麻布十番は、江戸時代の川の改修工事の際に十番目の工区だったことが由来とされています。

麻布は縄文時代から人が暮らしてきた歴史あるまちです。ですので、橋や坂の名前にも歴史を感じることができるんですよ。「暗闇坂」「三年坂」「芋洗坂」「行合坂」「紺屋坂」…。

ー夏目漱石の小説みたいですね。

地名学の研究は現在進行中で、未だに解明されていない謎も多く残っています。それゆえに人々のロマンをかきたてるのかもしれませんね。

まとめ:地名からまちの暮らしが見えてくる

場所を示すために普段使っている地名。飯田さんのお話を聞いてみると、それらは土地の地形や歴史、文化から生まれていたことがわかりました。洪水が多い場所には地名に「蛇」、船が出入りする場所には地名に「浦」が付く。つまり地名を見れば、そのまちの特徴が見えてくるということです。住んでみたいまちのことを、地名から紐解いていくのもたのしいかもしれません。

リノサポではさまざまな視点からまちを見て、お客様に合う物件をご紹介しています。まちの成り立ちや由来も楽しんでいただきながら、みなさんにフィットする住まいをご紹介します。住みたいまち探しからはじめる方も、すでに気になるまちがある方も、ぜひお気軽にご相談ください。

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