自己変容を楽しむことから始める、サステナブルな暮らし服部雄一郎さん・服部麻子さんインタビュー|住まいのヒント

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住まいのヒント

自己変容を楽しむことから始める、サステナブルな暮らし
服部雄一郎さん・服部麻子さんインタビュー<前編>

目 次
  1. 1大量消費とゼロウェイストが共存するまちで、考え方が変わった
  2. 2インドで、他人任せにしない姿勢を学んだ
  3. 3人は、循環する自然の一部をもらって食べている

自分にできることから無理なく楽しんで、環境に優しいアクションを学ぶ「エシカルのくらし」。今回のゲストは、サステナブルな暮らしに関する書籍の翻訳を手がけ、実際に様々なエコアクションを取り入れている服部雄一郎さんと麻子さんです。
お二人は高知県の山のふもとに、「本当にエコな家とはなにか」を考えながら建てた一軒家で暮らしています。その住まいへ伺い、家事や家づくりで実践していること、サステナブルな買い物の考え方、ゼロウェイストの暮らしに取り組む姿勢について聞きました。

大量消費とゼロウェイストが共存するまちで、考え方が変わった

ーー服部さんが、サステナブルな暮らしを意識するようになったきっかけはなんですか?

服部雄一郎(以下雄一郎):2005年に子どもが生まれたのをきっかけに、神奈川県の横浜市から葉山町へ引っ越しました。働いていたのは都心で、今から考えると「すごく消費者」でした。今も消費者ですが、当時はすべてを買う消費生活をたのしんでいて、ゼロウェイストの発想はありませんでした。「ごみは出すもの」で、出したごみは行政が処理するのが当たり前だと思っていたので、ある意味受け身な暮らしかたでしたね。

葉山町で役場のゴミ担当になり、きちんと分別してコンポストを使ったら、簡単にごみが減りました。良いことをしようと思ったわけではないのに、びっくりするほどごみが減っておもしろかったのです。そして、葉山にはごみが減ったことを「いいね」と分かち合える気の合う住人がたくさんいました。ごみというテーマと出会い、いろんな人と繋がったことが楽しくて、知らない世界が開いていく感覚にワクワクしました。このワクワクを感じたことで、サステナブルに暮らしたいというマインドが育まれていきました。

ーーその後、雄一郎さんが環境政策の勉強のために留学し、家族でアメリカ・カリフォルニア州バークレーに引っ越していますね。ゼロウェイストの視点で影響を受けた経験を教えてください。

雄一郎:バークレーは「ゼロウェイストなんて当たり前」という場所でした。ごみ問題に取り組むのは「特別なこと」ではなく、「当然やるべき良いこと」という雰囲気がありました。でも、おもしろいのは、ゼロウェイストという言葉から日本人が連想するような心がけや工夫をみんながやっているわけではないことです。住人たちの意識水準は総じて高く、考え方は成熟しているのですが、行動は必ずしも伴っていないというか(笑)、個々人が思想に合わせて実際の生活で無理する感じはない。「ゼロウェイストな未来を」という高らかなビジョンは力強く共有されつつ、日常レベルではたくさんごみが出ていても気にしない社会でした。

服部麻子(以下麻子):そうなんです。大量消費とゼロウェイストが共存している町でした。

ーー日本では、発言と行動が伴っていないのは悪いことと捉えがちです。バークレーは、そうではないのでしょうか?

雄一郎:現地の人を一括りには語れないですが、総合的な意識のベースがすごく高いと感じました。地球環境だけでなく、人権意識などすべての考え方が進んでいます。

日本では、踏み込んだ考え方をするなら行動が伴わないと「その資格がない」ように思われたり、人と違う選択をするなら、それなりの義務を果たさないといけないような雰囲気がありますね。でも、バークレーでは「良いことは良い」。すぐに実行できなくても、「それが現実だ」と受け止める感じなんです。実現するには行政がしっかり役割を果たさないといけないし、良い暮らしができるようにこれから社会を整えていくべきだ、というような成熟した考え方が広がっていました。だから、自分が良いと思うことを安心して発言できるし、そこに向かっている自分が不十分であることを隠さなくてもいい。社会を前向きに考えていける風土を感じました。

ーー有言実行も良いことですが、「気負わずに変われる」ことは強みにもなりますね。

雄一郎:変えたり、やめたりというのは、細かく軌道修正ができるということです。日々いろんなことが起きて、自分の身体や家族構成だって変わっていきます。変わった先で、自分が何をしたくなるかもわかりません。「これをやり続ける」と決めて生きていくのはなかなか無理があるのではないかと思います。

ーーそんなリベラルな環境で2年を過ごしたら、考え方が大きく変わりそうですね。

麻子:アメリカでは謙遜の美徳がなく、主張を良しとする文化を感じました。自分が良いと思うことを発言したり、実行するのが当然で、誰かに合わせることは評価されない場所でした。日本に戻ってきたら、なかなかバークレーのようにはできません。でも、個人がそれぞれに「私はこうしたい」「こういう考えを持ちたい」と考えるのは良いことだと思うんです。そこから少しでも発言する人が増えたほうが、社会は良い方向に向かうはずです。

インドで、他人任せにしない姿勢を学んだ

ーーその後、家族で南インドへ引っ越しています。そこでは、どんな経験をしましたか?

雄一郎:環境NGOの短期の仕事で行ったのですが、ごみの面では先進国からは想像もできない世界が広がっていました。行政のごみ処理がほぼまったく機能しておらず、ごみが散乱し、最貧層の人たちが資源化できるごみを拾い集めて売ることで生き延びているという絶句するような現状がありました。近代的なごみ処理施設を作る計画もあるのですが、効率的にごみ処理をすることで多くの貧しい人たちが職を失ってしまうという問題もあります。貧しい人たちの人生は簡単には変えられません。ですから、彼らのごみ拾いを正当な仕事として認め、地位向上に取り組もうという運動が起きていました。

麻子:私は教育の視点から考えることの大切さを学びました。「捨てたプラスチックは分解されずに残ってしまう」というような見えない部分を想像する能力は、教育でなされます。私たちが自然にこのような知識を得られるのは、教育を受けているからですよね。

雄一郎:教育が行き渡っていないインドの山村では、どんどんごみを捨てます。数十年前までは自然素材のごみだったので捨てても平気でしたが、生活にプラスチックが入ってきてから、ごみが環境を汚して観光資源を台無しにしています。

ーーバークレーからインドと環境の激変を体験して、暮らしに対する考えかたにどんな変化がありましたか?

麻子:インドで暮らしたことで、日本の環境は当たり前ではないと思い知りました。日本では、インドと比べてある程度までは社会保障がある。そんな環境に生きているからこそ、私たちは何にでも挑戦できるし、失敗しても大丈夫。やりたいことはまずやってみて、もし「これではなかった」と感じたら、また別のことに取り組めばいいんだ、と前向きに考えられるようになりました。

雄一郎:インドの大変なカオスに身を置いて、自分はもっとやるべきことがあると思いました。先進国で暮らして、政府が環境に対して何かしてくれるのを待って「政府の対応が遅いね」と言う……こういうことではないと感じましたね。

人は、循環する自然の一部をもらって食べている

ーー現在服部さんご家族は、高知の山のふもとで暮らしています。ゼロウェイストの視点で、どんな気づきがありますか?

麻子:昔からこのあたりは、家で食べる作物は自分たちで作るのがごく当たり前です。親の代から、自分たちの土地で野菜を作る習慣が引き継がれている部分もまだ残っています。一方で、核家族化や高齢化が進んでいて作物が余ってしまうこともある。そんな現状もあってか食べ物については、ご近所の方が庭の柿や畑の野菜をゆずってくださったり、イノシシが捕れたといっておすそ分けしてくださることが多いんです。

雄一郎:都会で暮らしている時は、生ごみを減らすために皮まで使って調理をしていました。一方で高知では、ご近所さんからのおすそ分けがコンテナ2箱分の柿など、家に入ってくる量が違います。最初のうちは、家族でどんどん食べても知人に分けても、一部はどうしても傷んでしまったり、全部を食べきれないこともありました。だから、都会では考えられない量の生ごみが出るし、最初はそれがプレッシャーだったのですが、くださる方は「どうせ(服部さんが食べなければ)落ちて腐る柿だから」という言い方をされるんですね。もちろん、せっかくゆずっていただくものですから、できる限りありがたく大切にいただくことが前提ではありますが、究極的には、たしかに僕たちがいただこうが腐らせようが、その柿の木は、毎年自然に実をつけて、それが落ちて土に還っていく。
自分たちはその循環の一部をいただいているに過ぎないんだと気づいた時、ハッとしました。スーパーで買う果物は栽培にも流通にもエネルギーをかけているので無駄にしないことが大切ですが、高知に来てからは「自然に成長し循環する植物の一部を人間がもらっている」という感覚を学びました。

ーー地方に移住すると、自分たちで作物を作って自給生活を目指すイメージがあります。

麻子:自給はいいなと思いますよね。私たちもいまだ憧れがあるのですが、やってみたら思うほど簡単ではありませんでした。たとえば田んぼをやろうとすると、手で管理するのは大変ですし、かと言って数百万円のトラクターを買うのも大変です。結果として、お米作りは手に余ると感じる部分が多々ありましたが、畑は比較的ハードルが低かったため、完全自給とまではいきませんが、楽しく作っています。

雄一郎:完全な自給自足は早々にあきらめ、ローカルな野菜を買ったりします。そうすると、「大雨で◯◯さんのかぼちゃがダメになり、食べられる分だけを緊急出荷」など、いわゆる規格外的な野菜にもよく出会います。都心部のスーパーは食材が安定供給されるので、価格の変動はありつつも購入はできます。一方で、高知では気候変動と作物のダイレクトな循環を感じられて、暮らし自体が貴重な体験になりますね。

ーー都心部でも実践できる、ゼロウェイストな食のアクションはなんでしょうか。

雄一郎:都心部でも地方でも、選び方を変えていくことはできるんじゃないかなと思います。今の僕たちは、いただいた野菜や庭で採れるものが豊富なので、それらの「目の前にある素材」を調理して食べています。でも、多くの人が流行りの商品や旬から外れた食材ばかりを求めてしまうと、農家にも流通にも負担がかかり、食全体のシステムの難しさへと繋がっていきます。

たとえば、みんなが鮭・秋刀魚・鯵ばかり選んで食べると、漁師さんもその3種類の魚ばかり捕ろうとする。網には別の魚もかかっているのに、売れないから捨てられる。偏った漁業によって海の生態系が崩れて、漁獲量も生息数も減っていく。この問題は、現代の消費の歪みを象徴していると思います。でも、たとえば漁村に行って、普段は捨てられている魚を振る舞われたら、きっと美味しさに気がつきます。選び方に多様性を持たせて、目の前にある旬の食材を楽しむことが、消費の歪みをなくす一歩になるのではないでしょうか。

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