団地型シェアハウスが地域に交流・共創・愛着を育む?-「りえんと多摩平」を通じて考える、これからのシェアハウスのあり方(前編)-|まちとのつながり

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まちとのつながり

団地型シェアハウスが地域に交流・共創・愛着を育む?
-「りえんと多摩平」を通じて考える、
これからのシェアハウスのあり方(前編)-

目 次
  1. 1りえんと多摩平とは
  2. 2多世代の交流を生むきっかけとしてのシェアハウス
  3. 3市民と企業のあいだにも生まれる交流
  4. 4シェアハウスを起点に生まれる交流・共創・愛着
  5. 5土壌となった共創の環

この度、新シリーズとしてスタートした「まちづくりとのくらし」。
本シリーズでは、これまでにリビタと関わった自治体や、まちづくりに携わる人々との対談や取材を通して、暮らしにまつわる可能性を様々な切り口から発信していく予定です。

本シリーズの第一弾は、団地型シェアハウス「りえんと多摩平」から考える、「まちづくりとのくらし」です。

2009年頃に「シェアハウス」という言葉がメディアにも登場しはじめてから、約13年。今やシェアハウスは、住まいの選択肢として一般的になってきました。

そして現代、黎明期から月日を経たからこそあらわれてきた、シェアハウスの意義があります。それは、地域における交流や共創、そして文化を育むということです。

そんなシェアハウスの可能性を感じさせてくれる事例が、「りえんと多摩平」。東京都日野市多摩平にある団地型シェアハウスです。1950年代に日本住宅公団(現在のUR都市機構)が建設した「多摩平団地」(現在の「多摩平の森」)の一部を、多世代交流を目的に民間事業者が改修・再生したURの住棟ルネッサンス事業における「たまむすびテラス」街区のひとつとして、2011年に誕生しました。

スタートから約11年。りえんと多摩平をきっかけに、まちの景色がかわってきています。さらに、2021年には新たな試みもスタート。「NPO法人NEWVERY」がテナントとして入居し、マンガ家が共同生活をする「トキワ荘プロジェクト」の拠点として利用され始めたのです。

今回は、まちづくりをおこなう日野市役所・テナントとして入居したNEWVERY・そしてりえんと多摩平を運営するリビタの3者に話を聞きながら、シェアハウスの地域・文化に対する意義を探っていきます。

前編は、りえんと多摩平のなりたちと、地域で生まれてきた交流・企業との共創について紹介していきましょう。

りえんと多摩平の外観

プロフィール

日野市企画経営課:中平健二朗
2000年から13年間都市計画課で多摩平団地の再生を担当し、現在は企画部企画経営課 地域戦略・情報戦略担当主幹として、まち・ひと・しごと創生やSDGs、イノベーション施策を担当。共通テーマである共創の原点が団地再生の住民やURとの対話であったため、20年以上が経過した現在も公私ともに団地と関わり続けている。

NPO法人 NEWVERY:小崎和隆

大手IT企業において投資部門や法務渉外部門の経験を経て、2016年にNEWVERY入職。2017年よりCOO(最高執行責任者)として事業全体の統括を担う。住まいを舞台としたコミュニティ・マネジメント事業とマンガを活用したメッセージ・デザイン事業の二つを軸を融合した新たな取り組みを進めている。

株式会社 リビタ:加藤陽介
まちづくり系のNPOや、建設会社での勤務を経て、2014年にリビタに入社。現在はプロパティマネジメント部で「シェアプレイス」のマネージャー業務を主に担当。プライベートでは、自社の団地型シェアハウス「りえんと多摩平」をはじめ、二畳半箱型移動式シェアハウスなど、コミュニティのある暮らしを満喫してきた。

りえんと多摩平とは

日野市は、東京都の東西のほぼ中心に位置する、人口約18万7千人の都市。多摩丘陵の緑豊かな自然が広がるこのエリアは、戦後ベッドタウンとして発展してきました。また、現在では企業の研究施設などが集積する工業都市としての顔も持っています。

高度経済成長期に入った1950年代、大都市に人口が集中するなかで、日本各地に団地が造成されていきました。日野市に誕生した多摩平団地もそのひとつ。仕事と住まいを求めて東京にやってきた流入人口の生活の拠点として、多くの人々の暮らしを支えてきました。

しかし多くの団地と同様、多摩平団地は建物の老朽化や住人の高齢化といった問題に直面します。そこで、1997年から「独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)」による団地の再生事業が始まり、その一環として、居住者が移転した後の一部住棟を民間事業者により再生・活用する「住棟ルネッサンス事業」が2011年に始まりました。

そうして誕生したのが「たまむすびテラス」。5棟の住棟を3区画に分け、公募で選ばれた民間事業者3社がそれぞれの住棟を15〜20年間借り受けることになり、住棟はそれぞれ、菜園付き共同住宅「AURA243多摩平の森」1棟、高齢者向け住宅「ゆいま〜る多摩平の森」2棟、そして団地型シェアハウス「りえんと多摩平」2棟として生まれ変わりました。

「りえんと多摩平」は、多世代交流を大きな特徴としています。3室で1ユニットの家具付き個室に住みながら、キッチンやラウンジ、テラスといった共用部でさまざまな人々と交流をすることが可能。さらに、ファミリー向けの「AURA243多摩平の森」、高齢者向けの「ゆいま〜る多摩平の森」が隣接していることもあり、他のシェアハウスではなかなか得られない、世代を超えた交流をすることができることが人気を呼び、これまでに延べ約200人以上(※当物件で国際寮として運営している大学の寮生人数は除く)の方が入居しました。

開放感のあるラウンジ
家具付き個室

多世代の交流を生むきっかけとしてのシェアハウス

りえんと多摩平が誕生した2011年当時、世の中でシェアハウスはあまり一般的ではありませんでした。ましてや団地という、何十年と人間関係が育まれてきたなかにシェアハウスを置くことは、おそらく全国的にも例をみないこと。日野市はそんな「団地型シェアハウス」に、どのような思いを持っていたのでしょうか。日野市企画経営課・中平健二朗(なかひら・けんじろう)さんは次のように語ります。

日野市企画経営課 中平さん:
「戦後はベッドタウンとして発展してきた日野市でしたが、他の多くの自治体と同様に、人口減少や少子高齢化が課題でした。特に団地は整備された時期が早く、同世代が一斉に居住したため、他の地域よりも先に高齢者が多くなり、住宅という機能に特化した団地は世代層や文化的にも均質的なエリアになってしまうことが課題となっていました。

そこで市が掲げたのが、『生活価値共創都市』というコンセプト。つまり、市民や地域団体、企業、大学などと協働しながら、生活の質の向上を実現していこうと考えたんです。ただ、理念を掲げるだけでは当然、協働は生まれない。協働を生むための場や仕組みが不可欠だろうということで、たまむすびテラスや、その中に置かれるシェアハウスに期待をしたんです。」

異なる世代の人々の交流を生むきっかけとして、地域にシェアハウスを置くというアイデア。しかし繰り返すように、当時は団地型シェアハウスはおそらく全国でも例を見ない試みであり、行政や地域の中でも異論もあったそうです。中平さん自身も、「自治会などの繋がりが深い団地に、ヨソモノの事業者や若者が入って、はたしてうまくいくのだろうか」という懸念もあったといいます。

当時、りえんと多摩平に入居し、現在はリビタのメンバーとしてシェア型賃貸住宅「シェアプレイス」のエリアマネージャーを務める加藤陽介(かとう・ようすけ)は、当時を振り返ります。

リビタ 加藤:
「リビタとしても、当時シェア型賃貸住宅『シェアプレイス』の運営経験はありましたが、地域にひらいたシェアハウスの運営ははじめてのこと。なので、試行錯誤しながらだったと思いますが、まずは地域の人々とつながりをつくっていっていましたね。たとえば、近隣住民にメッセージを添えた絵葉書を贈ったり、街区の横にある桜並木で交流のためのイベントを開催したりしていました。」

そうした地道な取り組みを通じて、だんだんと地域のなかでりえんと多摩平が受け入れられていきました。「絵葉書は、住民の方もとても喜んでいました。そうした心配りもあって、みんなリビタさんやりえんと多摩平のファンになっていったんです」と、市役所の中平さんも振り返ります。

りえんと多摩平の入居者も関わって開催された桜祭りは、年々参加者が増えていったそう。また、りえんと多摩平の入居者、ファミリー向けの「AURA243多摩平の森」の入居者、高齢者向けの「ゆいま〜る多摩平の森」の入居者が、それぞれの特技を持ち寄って行う催しも行われるようになるなど、多摩平に多世代が交流する光景が見られるようになっていきました。

リビタが贈った絵葉書

市民と企業のあいだにも生まれる交流

りえんと多摩平で生まれた交流は、地域で思わぬ広がりを見せます。

2015年、多摩平の森地区内に、イノベーション拠点「PlanT(プラント。正式名称は日野市多摩平の森産業連携センター)」が誕生。市民や企業、大学、創業を目指す方などが、知識・技術・アイデアを共有することで、革新的な新事業や製品・サービスを創造することを目的として設立したこの拠点の企画・運営事業者にリビタが任命され、施設全体のコミュニケーションマネジメントを担当することになりました。その意図を、中平さんは振り返ります。

日野市企画経営課 中平さん:
「日野市は工業都市としての顔も持っています。しかし、ものづくり企業と、地域の人々との繋がりがあまりないという課題がありました。そこでヒントになったのが、りえんと多摩平。『共有スペースと交流のための仕掛け』があることで、良好なコミュニケーションが生まれていく様子に、我々市役所の人間も手応えをつかんでいたので、そうした『共有スペースと交流のための仕掛け』を地域に埋め込むことで、企業と市民のつながりを生み出せるのではないか、と考えたんです。」

PlanTの外観

中平さんの言葉どおり、「共有スペースと交流のための仕掛け」が置かれました。共有スペースとしては、市民や企業従事者、創業者が集える「まちのラウンジ」や、企業や大学などが情報発信・研究に利用できるプロジェクトルーム、集中して仕事や勉強ができるワークスペースがあります。

「まちのラウンジ」の様子
ワークスペースの様子

さらに、セミナーや講演会ができるイベントルーム、外に向けた出店を検討している方が飲食・物販経営のノウハウを得ることができるチャレンジショップスペースなども設置されました。

また、「交流のための仕掛け」として、「メーカーズキャラバン」というプロジェクトが発足。これは、「メーカー=ものづくりをする人・企業」の技術やサービスを掘り起こし、市民が実際に体験し、学ぶことができるという取り組みです。市民を対象にした地域のものづくり企業への工場見学や、ものづくりを体験できるワークショップ、ものづくりのアイデアをみんなで考える「アイデアソン」といったイベントが実施され、多くの市民が参加してました。

これは、企業にとっては自社の技術や製品が市民からどう見えるのか、異なる視点からの発想を知る機会にもなりました。

こうして、りえんと多摩平で生まれた多世代の交流が、市民や企業といった立場を超えた交流へと展開していったのです。

PlanTで開催されたイベントの様子

シェアハウスを起点に生まれる交流・共創・愛着

2011年に始まった、全国初の団地型シェアハウス「りえんと多摩平」。その地域における意義は、どんなものなのでしょう。市役所の中平さんは、「世代間交流と、それによる共創が生まれていったこと」を挙げます。

日野市企画経営課 中平さん:
「りえんと多摩平があるおかげで、それまで団地にはいなかったような多様な方が日野市に住んでくれました。特に、若い世代が住むことで、世代間の交流と活気が生まれて、このまちで生活することの価値が上がったように思います。

さらに、ものづくり企業の価値のような、もともと地域にあったけれど埋もれていたリソースが、外からの視点が入ることで再発見され、企業と市民、さらには大学や行政といった異なるステークホルダーの共創の可能性が広がっていきましたね。」

また、りえんと多摩平の入居者にとっても、シェアハウスが地域にひらけていることは大きな意義があると、リビタの加藤は言います。

リビタ 加藤:

「りえんと多摩平ほど、さまざまな世代の人と交流できるシェアハウスはありません。そんな交流があるからこそ、地域に愛着を持てる。なかには、『名残惜しい』と言いながらやむなく退去したものの、多摩平の森の別の家に引っ越した人もいます。それに、実はりえんと多摩平の入居者で、たまむすびテラスの別の住人と出会って結婚し、『団地結婚式』を挙げた人もいるんです。他のシェアハウスでは起こらないような出会いが、ここではあることの象徴ですよね。」

土壌となった共創の環

これまでみてきたように、りえんと多摩平というシェアハウスがひとつのきっかけとなり、地域に交流・共創・愛着が生まれていきました。それはおそらく、偶然ではないでしょう。「多世代の交流を通じた生活価値の向上」を目指す日野市と、このエリアをより住み良い場所にしていこうとするリビタ、そして自ら暮らしをつくっていこうという想いを持った市民たちが、信頼しあい、協働していったことが、「交流・共創・愛着」が生まれる土壌となったのではないでしょうか。

そして2021年、そんな共創の環(わ)にあらたなプレイヤーが加わりました。法人としてはじめて、NPO法人NEWVERYがりえんと多摩平に入居し、マンガ家が共同生活をする「トキワ荘プロジェクト」の拠点としての利用が始まったのです。

後編では、そんな「トキワ荘プロジェクト」についてくわしく紹介しながら、シェアハウスの「地域での文化を育む」という側面について考えていきます。

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