岸本 千佳さんインタビュー
暮らすように働く生き方で、まちを楽しむ二拠点生活。
1985年京都生まれ。2009年滋賀県立大学環境建築デザイン学科卒業後、東京の不動産ベンチャーに入社し、シェアハウスやDIY賃貸の事業立ち上げに従事。2014年、京都でaddSPICEを創業。不動産の企画から仲介、管理までを一括で引き受ける。ほか、改装OKな賃貸物件の検索サイト「DIYP KYOTO」の運営、京都への移住者を応援するプロジェクト「京都移住計画」の不動産担当として物件紹介や職住一体相談を担う。移住者へのガイドとして制作し個人ブログにアップした「もし京都が東京だったらマップ」が話題となり、『もし京都が東京だったらマップ』(イースト新書Q)として書籍化。
京都で不動産プランナーとして活躍する岸本千佳さん。不動産の企画から仲介、管理までを手がけるほか、「京都移住計画」の不動産担当として京都への移住や二拠点生活を希望する人への不動産紹介も行っています。東京で不動産ベンチャーに勤めた後、京都で独立起業。そして今年、結婚を機に京都と和歌山の二拠点生活を開始。ふたつのまちを行き来しながら、暮らすように働く岸本さんの生き方には、まちを楽しみ暮らすヒントが詰まっていました。
「暮らすように働く」を求めて京都へ移住
—岸本さんは京都で不動産プランナーとして活躍されています。不動産プランナーとは、具体的にどんなお仕事なのですか?
物件を所有するオーナーさんから建物をどう活用すればいいかという相談を受けて、建物や周辺の環境やまちの特性を考慮しながら活用プランを提案して、設計施工のコーディネートや、入居者の募集と仲介、その後の管理までを一括してひとりでやっています。
—どのような物件のご相談が多いのでしょう?
築年数が経っている木造アパートだったり、規模の大きい町家など、誰に頼んでいいか分からないような、ちょっと難ありな物件が多いかもしれません。
「古くてボロボロだから借り手がつかない」とオーナーさんが思っていても、中にはそのままでも借り手がつきそうな物件もあるので、そうした物件は私が運営している改装OKな賃貸物件検索サイト『DIYP KYOTO』や、不動産担当として携わっている『京都移住計画』のサイトで移住者向け物件として紹介することもあります。
—岸本さんは、以前は東京の不動産ベンチャー企業にお勤めでした。なぜ京都で起業なされたのですか?
私は京都の宇治市出身ですが、「いつか京都に戻りたい」といった地元愛があったわけではないんです。以前勤めていた不動産会社には、創業メンバー以外の初の社員として入社しました。創業から間もないベンチャー企業で働いていたせいか、「事業は自分たちで起こすもの」という感覚が自然と身についていたのかもしれません。シェアハウスやDIY賃貸の企画から運営管理までをひと通りやって、そろそろひとりでも規模が小さい物件だったらやっていけそうだなと考え始めて、そのとき、「あ、京都でやるのがちょうど良さそう」と思ったんです。
—小さく起業をするのに、京都がちょうど良い?
東京には、同じフィールドに立つプレイヤーがすでにたくさんいたんですよね。でも京都は、東京に比べたらまだまだそういった不動産活用のプランニングができるプレイヤーが少なくて、ニーズがありそうな京都なら、独立して自分のやりたい仕事をやっていけるかなと思ったんです。
『京都移住計画』代表の田村と私とで行っている「職住一体相談会」という個別相談に来られる方たちも、自営で働くという前提の人が多いですね。30代40代のご夫婦やファミリーで飲食店をやりたいという人も多いし、シングルの女性で雑貨店をやりたいとか、あと二、三年で今の仕事をリタイヤして緩やかに働きながら京都に暮らしたいという方もいます。
—京都のまちは、自分のペースで働きやすいということでしょうか。
京都は昔から職人さんやお店など、職住一体をしている人がたくさんいるからかもしれません。働くことと住むことが分離されていないので、自分のペースで暮らすことができそうなところが、京都への移住を希望する人たちにとって魅力的なんだと思います。
あとは、東京に比べると物件が安いことも、移住を希望する人たちが京都で商いを始めたいと思う理由のひとつだと思います。1階でお店をして2階に住むという暮らし方ができる物件が、探せば月10万円くらいである。つまり、東京だったら家だけの賃料程度で、店も家も借りられるというわけです。人もたくさん生活しているし、旅行者も来ます。新規性のあるものでも、需要が開拓できる可能性が高いまちだと思います。
一方で、まちが小さくて人のつながりが強いので、京都で何かを始めるなら、真摯な姿勢で取り組むことが大事だとも思います。そこは相性ですよね。ただ、京都の人は、人を肩書きや経歴で見ないので、そこはいいところだと思っています。自分が対面して感じた人物だけを基準にしているというか。私は自分の仕事のやり方としてそれがすごく合っているし、助かっている部分でもあります。大きな組織や大きな事業の流れの中だと、効率や合理性が優先されてしまうこともありますが、私は、オーナーさんや施工会社さんや、その物件に住む入居者さんとか、プロジェクトに実際に関わる人たちと密に関わり合って仕事をするのが好きなんです。京都でできた友達は、ほとんどが仕事を通じてできた友達です。
—岸本さんご自身も、働くことと暮らすことが一体になっているんですね。
自分たちで新しく商いを始める上でも、住みながらやっているほうが、地域に受け入れられやすい印象があります。例えば、昔ながらのつながりが強いまちで宿泊業をやろうとすると、近隣から反対の声が出て計画がなくなってしまうこともあるんですが、大きな町家を買って宿をしながら自分たちも住んでいる移住者のご夫婦は、うまく地域に馴染んでいたりします。
私が仕事場を置いている西陣も、観光客向けのお店はほとんどなくて、仕事をしながら暮らす職人のまち。西陣織は世界的に有名ですが、昔に比べたらやっぱり産業は衰退していて、事業を畳むところも出てきている中、自社ビルの数フロアが空いているといった話もとても多いので、そういう物件を職住一体の暮らしができる物件に再生して貸し出すことができないかと、提案しています。
地域にもともと住んでいる人たちの側を考えても、そのまちのこれまでの文脈にないものを突然ポンっと入れるよりは、これまで通りの「住みながら働く」という形を外さず企画したほうが、いいと思うんですよね。そんなふうにまちに合う人を選べる物件をつくっていけば、移住者ももともとの住人も地域も、みんなが幸せになれるんじゃないかと考えています。
京都はさまざまなキャラクターのまちの集合体
—京都に移住する方たちに人気のエリアはありますか?
それが、あんまりないんです。京都に住んでいないけれど京都が好きだと言う人たちの中には、寺社仏閣や祇園や町家のイメージが強すぎて、観光地以外の京都のまちがどういうまちなのかイメージがつかない人が多いんです。もちろん、どんなまちで、どんなふうに暮らしたいかを聞くんですが、それを言語化するのはなかなか難しいですよね。それで、そういう方たちのガイドになればと思って作ったのが、『もし京都が東京だったらマップ』です。
—京都の各エリアを東京のエリアに例えたマップですね。岸本さんがブログで発表した後、より詳しい解説をつけて書籍化もされました。
『京都移住計画』は京都への移住を希望する人を応援するプロジェクトで、行政ではないし、京都への移住を促進したい!というのではないんですけど、移住される方はそれまでの仕事を辞めたり住処を離れたり、意を決して京都に来るのに、「合わなかったから帰る」となってしまうのは、やっぱり悲しいじゃないですか。だから、もっと京都の現実を知って、良いところも嫌なところも分かった上で来てもらえたらと思って、『もし京都が東京だったらマップ』を作りました。
—四条大宮は赤羽、北山は代官山・青山、出町柳は中野、壬生は清澄白河…など、どんな雰囲気の建物や店があって、どんな人たちが歩いているのかという、「暮らす」視点からのまちの比較が面白かったです。
もともとどういうまちで、誰のためのまちか、というまちのキャラクター分析は、私自身が不動産プランナーとして企画を立てるときに大事にしていることでもあります。
例えば、私が企画から行った『SOSAK KYOTO』というクリエイターのためのシェアアトリエは、京都駅近くの八条というエリアにあるんですが、ここは開発途上のまちで、まだあまり特色がないんです。まちごとに特色がありすぎる京都では、逆に色がないことが特色になると思い、線路沿いの物件だったこともあって、「音を出してOK」という際立った特徴を持つ物件の企画につながりました。
—目立った特色がないとは、京都にもそんなまちがあるんですね。このマップを見ていると、イメージが漠然としていた京都が、実はとても多様なまちの集合体なんだと気付かされます。
先日、京都駅近くで金箔工芸士をやっている方とお話する機会があったんですが、あの辺りはもともと京仏具の職人のまちなんですよ。金箔貼りの体験ができる店もあるんですが、それを表立って言っていなかったりするんです。看板を見れば、なんとなくそういうまちだということはわかるんですが、まちのキャラクターを体験できるような場が全然ないんですね。京都駅がすぐ近くにあって宿もたくさんあって、旅行者もたくさんいるのに、みんな通り過ぎて分かりやすい観光地へ行ってしまうんです。
—京都に訪れる旅行者にとっても、それぞれのまちのキャラクターを体験できる場が増えたら、旅の仕方が変わりそうです。
私の地元でもある宇治は、平等院やお茶どころとして有名なエリアなんですが、メインストリートは観光客向けの商店が並んでいて、雰囲気良く食事ができる店も、地域に住んでいる人が楽しめるような店もほとんどありませんでした。でも実は、メインストリートから一歩奥に入ると、小さな川が流れていたり、道が曲がりくねっていたり、古い町家も残っていて、昔ながらのいい街並みが残っているんです。
そこで、町家と建具工場だった空き家をリノベーションして、『中宇治yorin』という小商い三店舗とイベントスペースにしました。宇治にはこういうところもあるんだよ、と訪れる人に提案する場所になればというのと、地域に点在している空き家をこんなふうに再生できることを地元のひとに体感してもらえればと思って企画しました。
「暮らす」視点から見えてくる京都のまちの魅力
—岸本さんは旅行者と地域に暮らす生活者の両方の視点、双方から京都のまちを見ているんですね。
京都の不動産を扱う上で旅行者の視点は外せないということもありますが、メインは住まいをつくる仕事なので、やっぱり暮らす視点からまちを見ることが多いですね。最近は旅行者も、「暮らすように旅をする」に変わってきているように思います。
『もし京都が東京だったらマップ』を書くときに、いわゆる「京都本」というものを片っぱしから読んだんですが、大体が観光名所のいわれや歴史といった内容で。それはそれでいいんですが、せっかく住まいを扱う自分が書くのだし、この本は京都への移住を希望する人のガイドとして以外に、暮らすように京都を旅するガイドとしても使ってもらえたらと思いながら執筆しました。
—特に海外からの旅行者の方は、観光客向けの場所よりも、その土地の生活者の暮らしが見える風景を喜ぶ気がします。
例えば西陣は、今でも日常文化として着物があるようなまち。玄関先に竹筒を吊るして花を活けていたりとか、特別着飾っているというわけではなくて、日々の暮らしを彩ろうという感覚が当たり前にあることが、すごいと思うんですよね。西陣のあたりは観光で来る人が少ないのですが、たまにヨーロッパ系の観光客を見かけるとやっぱりそういうところを写真に撮ってたりするんですよね。日本の方の場合は、目的の店や施設がないと知らない場所に行きにくいのかもしれません。
—そういう方にこそ、京都旅のガイドとして『もし京都が東京だったらマップ』を活用していただきたいですね(笑)。
でも、京都に住んでいないのに、私よりも京都に詳しい人もたくさんいます。喫茶店に行くと、「毎年この季節に京都に来て、このカフェに来るんです」と話しているお客さんがいて、そんなふうに京都での旅の定番を決めて通っている方もいるようです。
—まさに、「通う」感覚ですね。京都と他の地域で二拠点生活という方もいるのでしょうか。
東京と京都という組み合わせの二拠点生活を送られる方は多いですね。大体みなさん、京都での住まいはセカンドハウスという位置付けなんですが、セカンドハウスとしての利用で丸々1軒家を持つのはコストや維持管理的にも大変じゃないですか。でも、少し長めに京都に滞在したいという人も多いはず。そんな人たち向けに、シェア型のセカンドハウス、「シェア別荘」ができないかなと構想しているんです。
—シェア別荘!「暮らすような旅」をしたい人にはぴったりですね。移住を希望する方のトライアルステイとしても良さそうです。
プランニングだけじゃなくて移住相談や仲介の仕事もしているのは、そんなふうに京都で暮らしたい人たちのニーズを滞りなく汲み取れるからということもあります。もちろん、ご相談が来た物件ごとに企画を考えるんですが、「この物件ならあのニーズに応える企画ができるかも」と結びつくときがあるんです。特に、身の回りの友人や、自分がほしいものはニーズが確実なわけじゃないですか。適した物件が出てきたときに即企画に生かすことができるんです(笑)。
二拠点生活は地方都市暮らしを豊かにする実験
—ご結婚を機に京都と和歌山の二拠点生活を始めた岸本さんご自身にとっても、シェア別荘はニーズが確実な企画なんですね。
そうなんです。まさに今、自分自身が求めている住まいなんです(笑)。夫は和歌山市にあるお寺の息子で、夫婦ふたりで京都に住むのは難しいだろうという事情がありました。とはいえ、私はこの先も京都で仕事がしたいので、結婚と同時に京都と和歌山の二拠点生活を始めました。
今は、京都での仕事は極力まとめて、京都で過ごす時間と和歌山にいる時間を半々くらいのバランスでやっています。京都と和歌山は電車だと約2時間。車だと1時間くらいで移動できます。通えなくもない距離ですが、京都に小さな拠点を置いています。
—拠点としている和歌山市は、どんなまちなんですか?
南海線の和歌山市駅というところで、和歌山城の城下町として発展したまちです。でも、よくある地方都市の例にもれず、商店街はシャッター街になっていたり、京都で言ったら四条烏丸と言えるようなまちの中心地のビルが空室だらけだったりしていて。そんな街中にあるビルの上層階を、ファミリー向けの賃貸住宅とスモールオフィスに転用し、働きながら暮らせるまちにするプロジェクトを今、進めています。
—和歌山でも不動産プランナーとしてお仕事を始められたんですね。
せっかく和歌山という土地と縁ができたのに、結婚したから住むだけ、というのは味気がないなと思って。これまでの経験を活かして、もっと関わることができないかなと思ったんです。
最近は、和歌山の旧市街でお店を始めたりする若い人たちが増えてきたり、地域の衰退を危惧した行政も地域再生に意欲的というのがあって、ちょっとずつ盛り上がる気配を見せているんですが、住まいの選択肢はあまりにも少なくて。
大型ショッピングモールを中心にした郊外の新興住宅地に若い人が行ってしまって、まちの中心地が衰退してしまうという構図は、どこの地方都市でもよく見られます。たしかに和歌山も、郊外に行けば2000万円くらいで家を建てることができるのですが、もっといろんな住まいの選択肢ができたら、暮らし方の選択肢も広がって、まち自体ももっと魅力的になるんじゃないかと思うんです。
私は、暮らしの基本は住まいをつくることだと考えていることもあって、自分が和歌山に対して関われる形を考えた結果、「和歌山に住まいの選択肢をつくる」という目標に至りました。実は今進めているそのプロジェクトの一戸に、私たち夫婦が住もうと計画しているんです。
—二拠点生活と職住一体の暮らしを提案するモデルルームともなるわけですね。
そうなんです。今の和歌山に増えてほしい人って、きっと私のような人だと思うんです。職住一体でまちと関わりながら暮らす人や、大都市に通いながら暮らす人とか。京都や東京だったら、「二拠点生活します」という人が頻繁にいて、常に人の流れがありますが、地方都市は居続けるか出るかのどちらかがほとんど。ビルの空室をこんなふうにリノベーションして活用できるよ、というハードの提案でもありますが、新しい住まい方を提案することで、これまでこのまちにいなかった新しい人の流れができると思うんです。
あと、こういう提案を京都のような大都市でやると、「京都だからできるんでしょ」と言われてしまうけれど、和歌山でなら、ほかの地方都市にも勇気を与える試みになるんじゃないか、とも考えています。
—たしかに、一部を除いたほとんどの地方都市では、人口減少が目下の課題になっています。
私は学生時代から、大型ショッピングモールと新興住宅地という、地方都市でよくある郊外の典型的な暮らしというのに疑問を抱き続けてきました。そういう暮らしの利便性もたしかにありますが、昔からある和歌山のまちの魅力もあります。
和歌山は戦時中に空襲で焼けてしまったので、昔からの古い建物があまり残っていないのは残念なところですが、古くから商売をやってきたお店や人が残っていたり、市役所や美術館や病院といった施設も昔からのまちのほうに集約しています。だから和歌山市のあたりは、車がなくても生活できるんですよ。コンパクトシティなんです。歩ける距離に老舗の喫茶店があったり、昔からの和菓子屋さんがあったりして、わざわざ車に乗ったり電車に乗らなくても、文化的なものに触れられる環境なんです。そういう地方都市でのまち暮らしっていいんじゃない?と思って、今まさに自分が実践しているわけです。
—学生時代から考えてきた地方都市での暮らしの実験の機会を、図らずも和歌山で得たんですね。
でも、結婚が決まった時は、全然そんなポジティブなことを考えられなくて。最終的には二拠点を選びましたが、結婚イコール和歌山に住むんだと思って、すごく落ち込んだんです(笑)。和歌山には縁もないし、京都の生活文化にも触れられなくなるし、お気に入りのお店にも行きにくくなる。でも、そうした京都での友人知人たちはみんな、仕事を介して出会った人たち。だから、和歌山でも不動産プランニングの仕事をすれば、一緒に物件をつくるオーナーさんや設計施工の人、コンセプトに共感してくれる入居者さんなど、仕事を通じて自分に居心地のいい環境をつくることができるんじゃないかと思ったことも、和歌山で仕事をやろうと決めた理由のひとつです。
旅をするように、仕事も暮らしも「体験してみる」
—岸本さんにとっての仕事は自分の暮らしの環境づくりでもあるんですね。まさに、職住が一体になった暮らしゆえの考え方だと思います。
「新しい場所を手に入れた」という感じですね。和歌山という暮らしの拠点も持ったことで、京都のことをより客観視できるようになった気もします。
私はこれまで、希望して移住する人たちを多く見てきましたが、最近思うのは、意図していなかった移住をする人もいるわけですよね。私の友人にも、結婚相手の事情で地方に移住した人や、親の介護でUターンした人がいて、その友人たちはデザイン関係の仕事をしていたこともあって、移住先での新しい働き方を自ら創り出していったんですが、そういう仕事でなかったら、地方に移住することをポジティブに考えるのはなかなか難しいことだと思うんですよね。だから、私が地方都市でこういう新しい暮らしの場づくりにチャレンジすることは、地方都市への移住をポジティブな選択肢にできる可能性があるんじゃないかな、なんて壮大なことも考えていたりします。
—自分の暮らしで得た体験を、そのまま仕事にフィードバックできるというのは、住まいを扱う仕事をしているからこそですね。
意識的にしているわけではないんですが、そうなってしまいますね。住まいをつくることが自分の仕事で良かったなと思っています。働くことと暮らすことを、切り分けないで考えられるというか。今後、もし子どもができて子育てをすることになっても、その経験がプランニングにも活きるだろうし、子育てで関わる人たちと仕事をすることにもなるかもしれない。体験が、全部蓄えになると思っています。
京都民も旅行者も、誰もが思い思いに過ごせる自由な場所
「鴨川の風景に幸せを感じます。特に丸太町より上に行くと、河川敷で過ごす人たちの自由度が上がって、体操をしている学生さんとか、上半身裸になって日焼けしているおじさんとか、足を川に入れて遊んでいる子どもとか。自分も川辺でぼーっとしているというよりは、そんなふうに思い思いに過ごしている人たちを見ています。『こう過ごしなさい』『こう使いなさい』というふうに強制されていなくて、使い手に委ねられている感じがいい。きっと私は、この場所のような暮らしの場をつくりたいんだと思います」
建築の道へ進む記念に買った、日本を代表するプロダクトデザイナーの名作
「高校までずっと文系だったんですが、建築の道に行きたいという想いが諦めきれず、一年浪人して建築学科のある大学に入りました。浪人中は、京都府立図書館に通って勉強していて、行き詰まると柳宗理やフランク・ロイド・ライトの本を眺めては、彼らの作品に想いを馳せて息抜きをしていました。合格したらこのスツールを買うんだ!と決めて必死に勉強して手に入れた、思い出のスツールです」
コンパクトで機能的な、二拠点生活の相棒
「京都と和歌山の二拠点生活を決めたときに、気合を入れるために買ったもの。和歌山市の『norm(ノルム)』というお店で買いました。二拠点を始めるにあたって、事務所や住まいなど、いろんなものをコンパクトにしたんですが、日頃持ち歩くバッグも荷物を少なくできるようにと、あえて小さめのものを選びました。型取りした2枚の革を縫製したミニマルなつくりなのに、紐の通し方を変えていろんな持ち方ができる機能性の高さや、カジュアルに使えるけど革なのでシックというところも気に入っています」