齋藤紘良さんインタビュー「遊ぶこと」から始まる仕事と暮らしの好循環|住まいのヒント

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住まいのヒント

齋藤紘良さんインタビュー
「遊ぶこと」から始まる仕事と暮らしの好循環

目 次
  1. 1仕事を、遊んでいる感覚まで近づける
  2. 2本来、多様性とは面倒なもの
  3. 3余白のある声かけで、地域を巻き込む
  4. 4他ジャンルの表現方法を学ぶことで、仕事も暮らしも幅が広がる
  5. 5あとがき

お寺の副住職、保育園の園長、音楽家、地域活動家と4つのわらじを履く齋藤紘良さん。多様な働き方を実践していますが、「生まれた時から人生が決まっているモノラルな世界にいた」と言います。しかし、そこから逃げずに家業を自分ごとにした結果、齋藤さんの周りには彩りあふれる世界が広がりました。今回はそんな齋藤さんから、仕事と暮らしをポジティブに捉える考え方について聞いてみました。

仕事を、遊んでいる感覚まで近づける

ー齋藤さんは、簗田寺の副住職・しぜんの国保育園の園長・音楽家・地域プロデューサーと、さまざまな肩書きを持っています。ここまで職業が広がった理由は何ですか?

僕は、お寺と保育園園長の息子として生まれました。生まれる前から家系の文脈があり、将来の職業が決まっていたんです。でも、その使命に対して小学生の頃から葛藤がありました。誰かに自分の人生を決められるのは嫌だったのです。

ー結果として、お寺も保育園も継いでいます。どうやって人生の使命を腹落ちさせたのですか?

20歳の時に、いよいよ家業を継がないといけないプレッシャーがかかりました。そこから、やらないといけないことを自分のやりたいことに変えるため、思考のシフトチェンジをしました。保育やお寺の世界を知って、自分に近づけたほうが楽しくなると考えたのです。実際に教育分野を勉強したら、世界が広がる感覚がありました。そうすると、その分野をさらに知りたくなり、結果的にハマっていきました。

ー今の齋藤さんは多様な働き方をしていますが、出発点は家業だったのですね。

最近は「自分の人生は自分で決める。選択肢の多様性が大切だ」と言われます。でも、僕の人生はまったく多様ではなく、最初から進路が決まっているモノラルなものでした。家業に対する周りからのプレッシャーに抗うエネルギーがなかったから、受け止めた。でも、やるんだったら、とことんやるという姿勢でいました。

ー「とことんやる」が難しい場合もあります。どうしたら、ものごとを突き詰めるところまでいけますか?

苦しんでやっていると、とことんまでいけません。僕は苦しいものに真剣になったことは一度もないので、遊ぶ気持ちを大切にしています。
保育の世界もこの遊ぶ気持ちをもってやってみて、ふと気がついたら楽しくなっていました。遊んでいる感覚と近くなってきたのです。音楽家はまだ遊びが足りていないので、もっともっと遊びたいと思っています。音楽をやる遊び心は死ぬまで持ち続けたいですね。

本来、多様性とは面倒なもの

ー齋藤さんの職業の中で、音楽だけは家系と関係ないところから立ち上がっています。すでに、一生続けるものになっているのですね。

はい。音楽だけは自分の生活史の中で組み立てていきました。音楽をやっていると言うと、「◯◯歳までに成功しないと厳しいのでは?」とステレオタイプなことを言われたこともあります。僕から見れば、遊びは何歳までやるか決めるものではなく一生やるものです。

僕の人生観は仏教を学んだ上に成り立っているので、現代的な感覚と違うかもしれません。お寺で暮らしていると、日常と死がとても近いです。亡くなる人たちを見てきたし、寝泊まりしている場所の隣がお墓ですから、人の死はそんなに悲しいものではない。僕は、明日死んでもいいと思って生きているから、遊んで暮らしています。

ー今の社会を見ると、まだ「◯◯歳までに、こうあるべき」と考える人は多いように感じます。

人生という時間軸を数字で切り分けた時点で、年齢は偏差値のように評価されるものになりました。しかし、僕は自分のモチベーションや周りから受けた影響で、時間軸は変わると信じています。なぜなら、周りの環境を変えると自分も変わるからです。自分自身の思いというのは、自分がやりたいことだけでなく、周りの人たちの思いや環境で変わります。全てを自分で決めようとせず、決められている意識も持つといい。僕は自分で自分の人生を決めていないし、自分で決めることが一番良いとも思っていません。

ー全てを自分で決めず、周りから決められているという視点を持つと楽になる人は多そうです。結果的にお互いが認めあう世界観が広がれば、本当の多様性に近づくかもしれません。

そうですね。みんな違うのが当たり前で、違うことが良いとも限らない。「自分とAさんは違うから嫌い」と言ってもいい。でも、嫌いなAさんは隣にいます。そこからどうやって関係を作るか考えることが、多様性を育みます。多様性とは軽々しく言えるものではなく、とても面倒なものです。

保育園はいい例です。子どもたちはみんな違って、わがままばかり言います。わがままを言い合う中で、友だちがいるから自分はこんな振る舞いをするのかと気がつく。次第に、わがままを言っても思い通りにならない世界に巻き込まれていきます。ままならない世界で、子どもたちはどのように自我を作っていくのか。保育者みんなでよく考察をし、問い続けながら行動していく、それが僕たちの目指している保育です。

余白のある声かけで、地域を巻き込む

ー齋藤さんは、積極的に地域プロデュースにも取り組んでいます。なぜ地域まで範囲を広げたのでしょうか?

『しぜんの国保育園』は、自分たちの足で立って、周りの環境を作り、子ども中心の生活の場であることを目指しています。そして、その場が居心地いいと感じる人たちに集まってもらって、特色のある暮らしができたらいいと思っています。

社会福祉法人東香会は6つの保育関連施設を運営して約300名の職員がいますが、イベントを開催するごとに有志に声をかけて、「楽しそうだからやる」と手を挙げた人が参加しています。僕が地域をプロデュースするというより、楽しそうなことや良いことを思いついた人が声を挙げやすい場を作っています。

ー地元の人たちにも同じように声かけをするのですか?

地元の皆さんには、簗田寺を介して「何か一緒にやりませんか」と声をかけます。「これをやりましょう」と断定せずに、余白を持たせた伝え方をすると「実は困っていることがある」と話が舞い込んできます。僕は、自分が中心になって動くよりも、地域に根づいていたものを形を変えて残したり、地域で何かをやりたいと手を挙げた方が取り組んでいるのを一緒に楽しむほうが好きです。

ー今までに、どんな取り組みが立ち上がりましたか?

たとえば、一昨年から簗田寺の駐車場で始めた「どんど焼き」です。もともと地域の皆さんが戦前から行っていた行事で、土を温めて豊作を願うといった由来があります。しかし、田んぼが減って焼く場所が無くなり、煙が近所迷惑になってしまうといった理由から、どんど焼きがなくなっていきました。いよいよ簗田寺の近くでやっていたどんど焼きがなくなるというタイミングで、簗田寺の駐車場を使ってやることにしました。

写真提供:簗田寺

ー2023年に簗田寺の境内にオープンした宿坊『泰全』、精進食堂『ときとそら』、コーヒー豆焙煎所『CONZEN COFFEE』など、敷地を地域に開いていく活動も盛んです。どのような経緯で始まったのですか?

もともとのアイデアは、住職になるための修行中に立てた計画なんです。仏教とは組織だったものではなく、各々が向き合って個人の哲学をバージョンアップするための思考回路だと思っています。この思考回路を途絶えさせないためにも、仏教をしっかり保っていく場を作ろうと思ったのです。

ーだから宿坊なのですね。

はい。まずは、お寺を私物化してはいけないと考えました。仏教という面白い考え方を、誰でも気軽にインストールできる場として開いていきたいのです。場の管理をするための住職は必要ですが、世襲制や全ての敷地を管理するといった感覚は解き放ったほうがいい。ですから、いろんな人を巻き込む宿坊や精進食堂や焙煎所を開きました。コーヒーを飲める場所があれば、おのずと座って会話が生まれます。会話をすることで親しみが生まれ、親しみからご縁が生まれて面白いことが起きていく。場を開くことで、良いサイクルが生まれます。

他ジャンルの表現方法を学ぶことで、仕事も暮らしも幅が広がる

ー地域で何かに取り組もうとすると、反対する人も出てきます。齋藤さんは、どんなふうに人を巻き込んでいくのですか?

「これは面白がれる。絶対にいける」という確信がふっと降りてきます。成功する道筋が見えてしまったら、やるしかない。確信があるから反対する人がいても混乱せずに、どうしたら僕が見えているビジョンが伝わるかを考えます。

伝わらないのは、表現力が圧倒的に足りていないからだと思っています。であれば、他ジャンルの表現を学びます。たとえば、建築業界を勉強して、設計士の言語で話をして仲間になってもらう。このようにして様々なジャンルの人たちと繋がっていくんです。

ー様々な分野の表現方法を知ることは、齋藤さんの暮らし方にも影響していますか?

常にこんな暮らしがしたいという希望は持っているので、プロジェクトのように暮らしを進めている感覚はあります。たとえば、ある時スパイスカレーに詳しい人と出会ってスパイスについて学びました。当時はスパイスだけでカレーを作ることが想像できませんでしたが、今ではルーで作るカレーが想像できません。全く知らなかった世界を学ぶことでパッと視界が開く経験は、暮らしの中でも更新されています。

ー家業を継ぎ、齋藤さんが場を開き、その場があることで人が繋がっていく。結果として、仕事も暮らしも楽しい方向へ発展していったのですね。

いまはさらに、社会学や経済学の研究者と一緒に保育の場づくりの研究をしています。ローカルガバナンスといって、地域の倫理観やガバナンスを作り、それを共有しながら独自に発展していくことを目指す研究です。もしかしたらローカルガバナンスの中心になるのは保育園ではないか、と思っています。

行政がひとつの規律で全ての保育園を管理していくことに無理が出てきています。たとえば、貧困の差がある地域とない地域では子どもたちの課題が違います。各地域に合ったやり方を模索できるように、自分たちでガバナンスを作ったほうが、結果として子どもたちが楽しく遊べる環境を作りやすいのです。

ー公共性の高い仕事は行政がやるものという先入観がありましたが、実は、近くにいる人がやったほうが上手くまわるのかもしれません。

共同体である学校から地域のローカルガバナンスを作るのは理にかなっています。そして、ローカルガバナンスを考える上で、地域に向き合い新たな関係性を築きながら取り組んでいくことは、大いに私たちの暮らしに直結することだと思います。

あとがき

しぜんの国保育園と簗田寺の敷地には、齋藤さん自らが切り拓いた山があります。「寺の経営は安定するけれど、里山と共に生きているお寺の魅力を大切にしたい」と、山を生かすことにしたそうです。齋藤さんが守った伸びやかで自由な景色は地域の共同財産になり、豊かなコミュニティを生み出す土台となりました。この土台は、多様な人々が共存できるという可能性を持っていると感じます。「遊び」という余白を持つことが、それぞれの仕事や暮らしを楽しめる場を生むのかもしれません。

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